たまに聞くと思いますが『基本操体』という言葉。今日は何故私が『基本操体』という言葉を使わないのか、お話しましょう。
★そんなのどうだっていいじゃん、という方もおられましたが、操体を深く深く勉強していくと、言葉の持つ深い意味に突き当たります。そうすると、迂闊に使えなくなってしまうのです。これは私なりのこだわりでもあるのですが。最初に言うと、操体法の創始者、橋本敬三先生ご自身も「基本操体」とは言われてないのです。
私が最初に操体を学んだ時の事を思い出します。三浦理事長の受講生のそのまた受講生のK先生でした。勉強熱心なK先生ですから、現在もし操体をやっておられるなら(残念ながら行方がわかりません)、進化した操体をされていると思います。是非再会したいと思っているのですが・・・・・。
それはさておき、私も最初は「基本操体」というものがあるのだと習っていました。
おそらく今だにそういう方も多いのではと思うのですが、何故基本操体なのでしょう。
そして、何故私は『基本操体』とは言わなくなったのでしょう。
師匠三浦寛先生のお話を伺う機会があります。18歳という若い時分から5年間、内弟子として橋本敬三先生の側で過ごしたという実体験は、後に私達が本や映像、細切れに伝わってくる話をつなぎ合わせたものよりもずっと説得力があるのです。また、純粋な内弟子というのは三浦先生の他にはほんの数人しかいないのです。
温古堂には色々な方が集まっていたようですが、いわゆる「ファン」であり、弟子ではないのです。ファンは好きな時にやってきて、好きな時にふらりと帰りますが、弟子は早朝診療の用意をしたり、掃除をしたり、火鉢の火をおこしたり、診療所の前の雪かきをしたり、橋本先生のお孫さんに忘れ物のお弁当を届けたり、傘を届けたりと、立場が少し違うのです。(橋本先生も『ファン』と『弟子』の違いははっきりと区別されていたようです)
内弟子時代の話を伺うと結構面白いのですが、操体法治療室―からだの感覚にゆだねる
の『温古堂ものがたり』で今昭宏先生が書いておられるような、優しいおじいちゃん先生という感じとはちょっと違います。そこから私が感じられるものは『孤高の求道者・臨床家』というイメージです。
私が三浦先生の治療所に伺う度に、ついつい立ち止まって見てしまうものがあります。
大判の色紙に書かれた言葉です『愛弟、三浦寛君へ』と、書かれています。『愛弟』と呼べる弟子を持つのはどんなに素晴らしいことなのか、最近よく分かるようになりました。
それはさておき、何故『基本操体』と言わないのかお話することにしましょう。
一般的に操体、あるいは操体法がブレイクしたのは昭和50年代です。NHKのドキュメンタリーが放映されたのが、橋本先生が79歳の時ですから、昭和50年代の初めになります。
ここで改めて、認識しなければならないのは、操体、あるいは橋本敬三という医師が世間に認められ、一世風靡したのは、80歳を過ぎてからなのです。それまで医学誌などに寄稿しても無視され続けるという状態で、絶筆宣言をしてからすぐに操体がブレイクしたという皮肉なところもあります。
※1)三浦先生が橋本先生に弟子入りされた当時、橋本先生は70歳。バリバリの現役です。聞くところによると、本当にからだを使って、色々な動診と操法を試されていたのだそうです。「操体」という名称がつく前に「ボデーパイロット」とか、なにやらアクロバティックな感じの呼び方をされることもあったようですが、
とにかく色々試されていたそうです。また橋本先生は、患者さんが激しく動いて肋骨にヒビが入るような骨折を二回はされているそうです。その話からも、色々されたのだなあ、ということが推測できます。
★私達実行委員は『実行委員勉強会』で、橋本先生が現役バリバリ時代にされていた操法の再現を三浦先生に見せていただくことがありますが、『おじいちゃんが、こんな激しい動きを?!』と驚くことがあります。
そして操体が一般的に知られるようになり、仙台の温古堂には日本中から患者さんが押しかけたわけですが、そうなると一人一人じっくりと時間をかけて診ることは不可能になってきます。ある程度パターン化も必要になります。(三浦先生は、この時の橋本先生にはもっとじっくりと臨床をする時間を持たせてあげたかったとのことです)
また、お年を召すとどうしてもやる操法は限られてきます。そして、慣れていて名人の域に達していると、難しいことをいとも簡単にこなすように見えるものなのです。
そこで、有名になったのが
・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱
力)
・伏臥位で、膝関節の腋窩挙上(うつぶせで、膝を腋の方に引き上げ、操者は引き上げた足に抵抗を与え脱力)
・仰臥下肢伸展位での下肢の押し込み
あたりなのではないでしょうか。
私のつたない経験から考えても、名人達人だったら、これくらいで間に合ってしまうものなのです。
おそらく、橋本先生はこの3つとプラスアルファで間に合わせておられたのではないでしょうか。
そしていつの間にかこれらの操法が有名になり、操体を言えば『ああ、足首曲げて力を抜くやつね』とか『ああ、膝二分の一屈曲位で膝を左右に倒すヤツね』とか、『ああ、うつ伏せでカエルみたいな格好するやつね』とか『ああ、仰向けでカカトを突き出すヤツね』となり、これが『基本操体』という名前をつけられたのでは
ないでしょうか。
なので、これらの操法はお年を召された橋本先生がされていたというだけであり、お若い頃からそうだったわけではありません。(※1参照)だから私はこれをひとくくりにして『基本操体』とは言えないのです。
むしろ『基本』というならば、『身体運動の法則』(重心安定の法則、重心移動の法則、連動の法則)が基本なのではと思います。実際臨床をやるにせよ、操者自身がこの3法則を体得していなければならないからです。
これは本にも『基本運動』として書かれています。
あと、『基本操体』で思い出すことがあります。
10年程前でしょうか。ある方から電話をいただきました。手技療法をされている方のようでしたが、『基本操体は効かないから、応用操体を教えてくれ』という内容でした。この方の口ぶりから言うと、この『基本操体』というのは、上に上げた4つ位ではないでしょうか。
私もその頃操体を勉強しはじめてから7年程経っていました。最初に書いたとおりに私も「基本操体」という言い方を習っていたのです。また、やっていたのは『第一分析』の動診でした。(第一分析へのリンクを張っています。ご覧下さい)
そして、特に
・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)この二つはとても難しい、いわゆるテクニックが必要な操法だということが分かっていました。
勿論当時やっていたのは、『第一分析』でした。当時既に何名かの受講生に稽古をつけていましたが、この二つは簡単そうに見えるのですが、実は非常に難しいのです。
・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
これは最初にひかがみの圧痛硬結を触診するのですが、まず殆ど皆これが出来ないのです。そして、瞬間脱力を言葉で誘導するのと、足背(そくはい)に抵抗を与える微妙なニュアンスが難しい。単に上から押すとか力ませてはいけないのです。
★この微妙な圧を無視して、『上から押してるから我慢して〜』という指導をきいたことがありますが、我慢大会ようで、操体らしくありません。また患者さんが力んでしまうのです。これでは操体ではありません。
・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)
これは、瞬間脱力させた後の介助について、橋本先生の書籍にも明記されていません。なので、手をぱっと離してしまうようにやっているところとか(これは患者さんにとっては危険だと思うのですが)、介助を入れて膝が床に落ちないようにしているところとか、色々あります。私はやはり、手をぱっと離すような危ないことはできないので、膝がバタンと倒れないよう介助をしていました。
膝が倒れるということは、骨盤が捻転してくるということでもあります。また、三浦先生の『腰痛の治療と予防』(現在は改訂され『操体法の治療と予防』たにぐち書店)に、膝二分の一屈曲位で、膝を倒すと、骨盤が同じ方向に捻転し、首は膝と反対に捻転してくる、という連動の法則を少し勉強していたのです。
腰の具合が悪い人は、そんなに膝を左右に傾倒することができません。そういう方を診る時、膝を倒すのではなく、骨盤の捻転から考えたり色々試していましたが。非常に奥が深いものだと研究しているところでした。
そういうこともあり、「基本操体」と言われているものは、実はとても高度なテクニックがいるものなのだと確信していました。
なので『基本ができない』つまり「基本で結果を出せない人に、応用は教えられない」という決断をしました。
★話が少し脱線しましたが、私が
・仰臥膝二分の一屈曲位で足関節の背屈(つま先をすねに向かって反らして脱力)
・仰臥膝二分の一屈曲位で膝の左右傾倒(膝を左右どちらかに倒し、倒しやすい方に動かして脱力)
・伏臥位で、膝関節の腋窩挙上(うつぶせで、膝を腋の方に引き上げ、操者は引き上げた足に抵抗を与え脱力)
・仰臥下肢伸展位での下肢の押し込み
を、基本操体、と言わないのはこういう理由があるのです。
Hiromi Hatakeyama 畠山裕美
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