東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ご立腹

私は割と気が長い方だ、嫁に言わせれば気が短いと言われ、どっちやねん!って思わず一人突っ込みを入れてしまいそうな程、その時々で表情を変える。


まぁ、基本人間ってそんなモノではないかと思ったりもします。
サラリーマン時代はその殆どを営業職で過ごしていたので、感情を表に出さない訓練?と言いますか、感情を表に出した方がビジネスの世界では、負けであるという考えであったので、尚更、そうなってしまったのかもしれません。


そんな私が珍しく、昨年末だったのですが、昨年の11月の末に最初は、怒髪天を衝く”怒りから、“腸煮え繰り替える”怒りに変化し、最終的には“哀れみ”に変わってしまった出来事が有りました。


う〜ん、久々でした。。。久々と言いますか、これ程の感情の変化は今迄の人生の中でも、そうなかったかもしれません。
今回、ブログに書こうかどうしようか迷ったりもしましたが、私個人が感じた出来事だと思ってふ〜ん、そんな事があったんだぁ位の感じで読んでみて下さい。


一つのプロジェクトを完成させるということはプロジェクトの大小に係わらず、とても大変なことです。例えばダムを建設するなどというビッグ・プロジェクトであれば尚更で有り、設計段階から始まり、資材の選択から人の動きに至まで、用意周到、ミスは許されません。


仮にアリ程のミスであっても人命に係わり、大惨事を引き起こし兼ねないからです。
現に黒部ダムなど映画や小説などでもその壮絶さは伝えられ、容易に想像出来ます。
“段取り七分の行動三分”など計画(段取り)が如何に重要であるかを説いた言葉であり、それ位、綿密且つ繊細な取りかかりが必要だということです。


そして、どんなプロジェクトでも重要なのは“人”で有り、どの様な人達がそのプロジェクトに携わり、キーマンとして動くかに、かかって来るのだと思います。


人にも色んなタイプの人がいて、素直な人、天の邪鬼な人、ムードメーカー的な人、などなど、数え上げれば切りがないほど人にはタイプがあって、適材適所、どんな人にも必ず合う場所がある筈なのです。水曜日のブログにも書いた様に、仕事は星の数ほど有り、全ての人が医者に成れる訳でもなく、学校の先生に成れる訳でも有りません。
どの様な人にも、居るべき場所が有り、やるべき役割が有るのです。


組織を作るというのは難しいことでは有りますが、何か事を成そうと思えば、“組織”の力無くして何も出来ないのです。
どんなに個人その人に、素晴らしい魅力があったとしても、伝えるべき事を形にしようとしても、やはり人間一人では無力なのです。


私達は昨年末、数年後に向けて一大プロジェクトを立ち上げました。イヤ、正確には立ち上げようとしました。


目的はとても崇高なものであり、名誉や私欲などという下(げ)衆(す)なものでは無く純粋に、私達が日々大切に育み、慈しんでいるものの集大成を表現したい!という熱い思いからでした。


それは現状に対しての危機感でも有り、私達だけが良ければいいというレベルから一歩抜け出し、このままでは大切なものが腐ってしまう!今のまま何もせずに手をこまねいていたら本当に手遅れに成ってしまう!


今迄であれば知らん顔も出来ました、正(まさ)に外野から「アホやなぁ・・・バカじゃね?」などと他人事の様に笑っていることも出来たのですが、昨年末に係わってしまった以上、他人のふりが出来なくなってしまったのです。


係わった以上は何とかしなきゃいけない!そんな思いと、今有るものはどうしようもなく腐ったミカンであったとしても、ミカンが腐っているからどうにもなんないから放置するではなく、これから係わって行く若い新しい人達に対して、この縁があったものがどれだけ凄いものなのかを掴んで貰いたい、そして一生涯を通して追求するべき価値のあるものだと、肌で感じて貰いたいとも思いました。


それこそ用意万端、後は最後の一押しという所まで来ていた所で、このプロジェクトは頓挫してしまいました。
どんなに素晴らしいものを作り上げても、これ以上もない、現状では最高であろうというものを段取りしても、叶わないことがあるのです。


それは崇高な目的とはおよそかけ離れた、ショーもない鼻糞の様なプライドと嫉妬のために、私達の後に続くであろうと思われる多くの若者達の将来をも先延ばしにした様なものなのです。


これは決して我々の自惚れとか奢りとかではなく、謙虚にそして背伸びをすることなく、今有る力で出来うる限りの最高のものを作ろうとした結果だからこそ残念でしょうがないのです。


“公人”としての自分の立場と“私人”としての自分の立場を弁(わきま)えた上で、出した答えであれば納得も出来るのですが、ただ単純に“私人”としてのプライドのみ、子供が自分の欲しいモノが買って貰えなくて駄々を捏ねているに等しい醜態で、呆れるほどでした。


私は操体と出会って今や人生を変えて頂きました。私が学び始めた当初から考えても、いわゆる同門の弟弟子とでも言うべき方々も数々誕生されています。


その中で常に思うのは、良くも悪くも先に操体を知り、縁があった者として、後から続く人達が少しでも、操体の素晴らしさに触れ、動きやすい環境作りをして行くのが、我々先に縁があった者の役目で有り、少なくとも後輩の方達が自由に羽ばたける舞台を作ってあげるのが、先達の役目で有り、それこそが公人としての役割だと思います。


手助けをし共に大きくなることを考えこそすれ、その芽を摘む様な行為がまかり通ってはいけないのです。


信長は有名な“人間五十年”と舞う敦盛が好きだったようですが、人間よく生きて百年です。宇宙の営みから見れば針の一差しにも成りません。


何の縁で同じ空の下、同じ空間に存在することか、そう考えると人、一人のプライドなんて糞喰らえです。


先輩には先輩年長者には年長者なりの振る舞い、行動が有り、それを逸脱してしまえば只の“イヤな先輩”老害と言われてしまうのです。


今、時代は混迷しており世界的に大きく変わろうとしています。絶対安心だと言われていたBIGスリーやトヨタでさえあの調子です。
経済だけでなく、ここ数年の間に大きく世界は様変わりしていくだろうとも言われています。


旧態依然として過去の遺物にしがみついている組織はやがて根から腐り、朽ち果て、跡形もなく消えてしまうでしょう。


他方では新たに信念を持った柔軟性のある組織が発展を遂げる、そんな時代がやって来ると確信しています。


これからの東京操体フォーラムも現状に満足することなく、常にチャレンジャー精神を持ち、前へ前へと進み、後に続いていく人達のためにも静かな汗をかこうと思っています。


この一週間お付き合いいただき誠にありがとうございました。来週からはお待ちかね、私達の素晴らしき師匠、三浦先生の登場です。宜しくお願い致します。



福田勇治



東京操体フォーラム実行委員ブログは
人気ブログランキングに参加しています。
にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ