操体でいうところの介助の強さ・重さは『軽ければ軽いほど良い』という
言葉は聞いたこともある方もいらっしゃると思います。
極めるといっても力で強引にでもなく、関節をでもなく・・・・
それが何かはのちのちフォーラムの時にでも耳にも入るかもしれません(笑)。
それは僕自身が臨床の時に常に心がけることなのです。
介助が強ければユックリ動いて感覚をききわける事よりも介助を“押す”
(この表現が正しいかはわかりませんが)ことに“意識”をおいてしまう
そう!それは無意識への問いかけではなく意識させて問いかけてしまうのです。
それでは“からだ”は訴えてはくれないのでは?と感じました。
そして、その“押す”ということに頑張ってしまうと末端からの動きではなく腰から動いてしまうケースがあります。
このことを念頭に置いておけば動診として通す事ができますが、不自然な連動ととらえる可能性もあります。
ですから『軽ければ軽いほど良い』のです。
でも!それじゃ極められない!!と言われそうです。
僕も最初そう感じたのですが、そんなことないのですね。
今は自分なりの考えなので書くことはできませんが(汗と笑)
そして、学んだことを組み合わせるうちに自分のスタイルが
静→静・動→動→静
とうサイクルになってきた事に気づきました。
・ 皮膚へのアプローチで無意識下に問いかける。
・ 無意識へのアプローチを聞きわけながら動へ道をつくる。
・ 無意識下の快適感覚の余韻を味わいながら(内部感覚として)動。
・ 動の余韻を無意識下であじあう
といった流れでしょうか。あくまで僕自身が心がけている事なのですけどね。
最終的にもやはり静に・・・
これを一つ一つ区切る、また一連の流れの中で行う事でまた違った感覚のききわけができるのかもしれません。
もちろん静からアプローチによる快適感覚の質が最も高いのですが・・・
※ここでの静は皮膚へのアプローチという解釈でお願いします。
以上の事は最近の自分の中での気づきですので、至らない部分はご了承下さいね。
今日はこのへんで失礼します。しかし凄い雨ですね・・・
西田尚史