東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 言葉を統制する

おはようございます。森田です。


今朝は「今週の気になった話」をします。


ある平日の夜10時過ぎの電車の中でのことです。隣の人と方がふれあうくらいの混雑ぶりでした。
その中で、二十歳くらいの二人の女性が普通の声で会話をしていました。3mくらい離れていましたが、よく聞こえるのです。

どうやらテーマは一人の父親に対する不満のようでしたが、ふと耳に張り付いたのは「あいつ、死んだ方がいいよ」という言葉。
思わず耳を疑いましたが、まぎれもなく父親に対する言葉でした。
よほど深刻なことがあったのかというとそういう雰囲気でもない。結構二人とも笑って会話を続けていました。笑顔の悪口大会は3駅ほど続き、悪口を言っていた女の子は先に下車。残された女の子も平然とそのまま電車にのっていました。周囲の乗客はずっと彼女たちをちらちらみていましたが、二人ともそれには気づかなかった様子。いや、もしくは気づかないフリができるほど図太かったのかもしれません。
私がこの友人だったらこの時点で恥ずかしくてとなりの車両に移動してますね。恥ずかしくて。


ここで不快に感じた点を列挙しますと、

1、周囲に気を使わないボリュームで話す
2、どうでもいい家族の愚痴を延々聞かされる
3、暴力的な言葉を無意識に使っている
4、自分がどう見られているか客観視できない
5、友人の間違った言動を注意しない(間違ったと思っていないかもしれませんが)

なんだかもう、突っ込みどころが多すぎてどうしていいかわかりません。
駅のホームに、「痴漢と暴力行為は犯罪です!」というポスターが張ってありますが、ほぼそれに近い。

このなかで最も気になるのはもちろん3 です。父親に対する「死んだ方がいいよ」という発言。
私にとってはかなりショックで、何日たっても気になって仕方ないのですが、最近の人はこういう言葉を使っても平気なんでしょうか。
荒い波動の言葉を聞いたり使うと、からだやこころが不快になるものだと思うのですけど。彼女たちはすでにそういった快不快を聞き分けることに鈍くなっているのですね。

人を蔑む、傷つける言葉を育ててくれた親に対して使うという二重にショッキングな話。もしかしたら母親の真似をしているのかも、など、やめたいのに妄想が止まりません。どうしてこんなことが起こるのか、私のなかで理解できないとなんだか落ち着かない…。


そういえば、小学生は「むかつく」「うざい」「死んだ方がいい」って平気で言う子がいますね。流行言葉のように当たり前になってきているのかもしれません。私が小学生だった時は親も学校の先生にもおこられましたどね。
もちろん今の小学生だって「その言葉は不快」と感じて使わないと決めている子もいますが、件の彼女は二十歳になっても誰も注意されることがなかったということではあります。
考えてみると社会人になってもこういう言葉を平気で吐ける人いますけど、そんな人友達には欲しくないですよね。もし大事な友達が言ったら注意します。


私はやみくもに「父親だから敬いなさい」なんて言いません(「感謝できないのは残念なこと」とは言いますが)。
世の中には小さいときから親から理不尽な待遇を受けて来た人もいますし、嫌いになる理由があれば嫌っても仕方ない。
でも、そんな言葉を使うほどの燃えたぎる感情なら、何も混んだ電車の中じゃなくて、他人に聞こえない場所で深刻そうに話してほしい。
そうしたら「そんな発言するほど嫌なことがあったのか、大変だったね」ととりあえず受け止めることができます。
その彼女にはそういった深刻さは感じられず、むしろ親に甘えているといった感じでした。


とにかく言葉の持つ波動とその力のすごさを感じます。何日たってもこうして気になり続けているのですから。
彼女には無意識に波動の荒い言葉を使うことの怖さを知ってほしい。いつか自分に返ってきます。
とりあえず、その時は電車の中の大勢を不快な気持ちにさせ、性格不美人のレッテルを貼られていたはず。「こんな女とはつきあいたくない」ナンバー1になっていたでしょうね。
それだけでなく、言葉は波動ですから、70%近くが水分である自分自身のからだを自ら汚している、これが最も怖いことかもしれません。
無意識に使っている以上、気づくまで自分自身を汚しつつける毎日を送ることになるのかとおもうと、だんだんかわいそうになってきました。


橋本先生は「言葉は運命のハンドル」とおっしゃられていたそうです。自分の選んだ言葉の方向へ人生は向かっていくのです。三浦先生は「言葉の波動が行き方を決める」「だから言葉を統制しなさい」とよくおっしゃいます。
生き方の自然法則、息食動想+環のうちの「想」は他の4つをまとめて表しています。そして想は一番言葉にあらわれるのだそうです。言葉の使い方が変われば、その人の想も変化していることになります。
逆に考えれば、生き方を変えたければ形から入る、つまり言葉を統制(コントロール)すればよいということになります。意識的に真、善、美、愛という言葉を選ぶようにするとよいと師匠は講習でも、本の中でも伝えて下さっています(「操体臨床の道しるべ」より、p202.「付録橋本敬三先生の世界観」)。


こうした教えを大人になっても聞けることはありがたいです。そういえば私も汚い言葉を口癖にしていた時がありました。
年齢を重ねるごとに、注意してくれる人は減ってゆきます。アドバイスをいただける人がいること、生きる指針になる般若身経があるのはありがたいことです。

件の女子も、はやく気づいてくれる日が来ることを願います。せっかくの美人も台無しです。
世の中に(性格)美人が一人でも増えてほしいものです。もちろん、男性もですよ!


森田珠水


*参考
操体臨床への道しるべー快適感覚に導く診断と操法ー」 三浦寛 2007,11,30 医道の日本社

操体臨床への道しるべ―快適感覚に導く診断と操法

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