東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ばあちゃん

今先生、お疲れ様です。一週間どうもありがとうございました。
今先生からのバトンタッチを受け、一週間担当する佐伯惟弘です。宜しくお願いいたします。

先週、紅白歌合戦の出場者が決定しましたが、初出場の植村花菜トイレの神様」に話題集中。
おばあちゃんの無条件の愛を切々と歌った大阪弁の弾き語りが、胸にしみます。
その歌を聴きながら、私にも語らなければならない祖母さんがいることを感じました。

今回は、祖母さんをご紹介することから始めようと思います。
それでは、スタート。

その前に、私の母(っと・・・のっけから失礼)。
母は、五人姉妹の長女。しかも家が神社ということもあり、父を養子にする形で結婚しました。
そのため母は、実母である祖母さんと今まで通りの生活を続けることが出来ました。
世にある嫁姑の確執など全く無縁で、私が生まれたとき、祖母さんは44才。

今ならば、マル高出産で、私が子供でも決して不思議ではありません。事実、私の幼い頃の記憶は祖母さんとの生活が大部分を占めています。両親が共働き(学校の教員)をしていたため、私が学校から帰ると「おかえり!」と言ってくれるのは、祖母さん。
私は「祖母さん子」だったのです。

祖母さんは、古物商の五人兄姉・末っ子として生まれ、松山城の麓にある青雲神社という薪能で有名なところが遊び場だったようです。
「ばあちゃんは、なあ〜。お能が好きで、あんな舞がしたいとばっかり、思うとったんよ。」
口癖のように話していました。
NHKで能の中継放送がある日曜日の午後は、祖母さんのゴールデンタイム。
食い入るように見ていたのを思い出します。
祖母さんは、女学校を出て、小学校の教員になり北宇和郡の小学校が最初の仕事場。北宇和郡といえば当時鉄道も通っておらず、愛媛(四国の北西)の最南端、高知に近い「地の果て」と呼ばれたところ。

「ばあちゃんの喋る言葉が、変に聞こえたんじゃろなあ〜。
何喋っても、おもしろがらんのよ。それでな、<なあ〜し>いうようになったら、子供らが笑てくれたわい。」
松山界隈では、語尾に<なもし>をつけ軟らかい丁寧な意を表現します。
夏目漱石の小説「坊っちゃん」で、宿舎の寝床にバッタをいれられた「坊っちゃん」先生が激怒し、誰がバッタを入れたのか追求する場面があります。
その時、「バッタじゃないぞな、いなごぞなもし。」
とまあ〜丁寧な言葉で、「坊っちゃん」をからかうときの、<なもし>。
もう、現在の松山界隈では使われていません。
ただ、物心ついた私の耳には、ばあさんが近所の人と挨拶していた、
「きょうは、ええ天気じゃなもし。」
「そうじゃなもし。」
という会話がここちよく染みついています。
この<なもし>が北宇和郡では<なあし>となります。
また、北宇和郡は、宇和島藩つまり伊達藩なのであります。
そのため、松山と全くアクセントが違います。まあ、かまぼことじゃこ天くらい違います(何となく分かってください・・・・)
そんな祖母さんが、私の学んだ東谷小学校に赴任。同じ小学校の教員であった祖父さんと結婚することになります。
そのため、教員生活は5年間。
その後は、5人の娘を抱えて太平洋戦争に突入。終戦後、9年程立ち、私が生まれたことになります。

どんな祖母さんだったかというと。
小柄で上品、田舎では珍しい都会的センスのある人でした。
しゃべり方が、おっとりとした伊予弁にもかかわらず、オーバーアクション。まるで手話で会話をしているように、表情筋を最大限に使い、身振りも派手。
もともと踊り好きだった上に、北宇和郡の小学校で慣れない方言と格闘した結果が、あのオーバーアクションになったのでしょう。
そんな祖母さんと、毎日過ごしている私。
知らず知らずの間に、オーバーアクションとなっていくのは、自然の流れだったようです。
本を読むのが好きでなかった私は、言葉足らず。
その変わり、表情筋と、全身を使って目一杯の表現をする日々を送っていったのです。

祖母さんが私に常々言っていた言葉があります。
「神様が見とるけん、悪いことはせられんよ。」
「人の悪口を言うたら、いけんぞな。その言葉は、かならず自分に返ってくるけん。」
毎日、毎日この言葉を浴びるほど聞いていた私は、時々、悪いことをしますが、人の悪口をいうことは、めったにありません。
この二つの言葉が、からだに少しずつ染みこんでいます。どうやら、私の言動から考え方まで、大枠は祖母さんによって作られていたようです。
そんな祖母さんに贈ることば。

ばあちゃんの肌はスベスベしてて、きれいじゃった。
お風呂は、いつもばあちゃんと一緒。
参観日に和服で来てくれるばあちゃんは、ボクの自慢。
後ろを向いては、手を振ってた。

「ひろむさん、おいで、この算数を解いてから、遊びにお行き。」
頭の中が、遊びでいっぱいのボクの手綱をひいていたのは、いつもばあちゃん。
遊びたい一心に、早くなる足し算、引き算。
ばあちゃん、本当にありがとう。

ばあちゃんの胸騒ぎで、弟のあっちゃんが助かった。
練炭コタツでかくれんぼ。
寝込んでしまったあっちゃんを、買い物途中で感じたばあちゃん。
「あつしは、どこぞな!」
「こたつで、寝とるよ」
こたつを投げ飛ばし、真っ赤な顔のあつしを抱え出すばちゃん。
冷たく薄めた梅酒を飲まし、
「ザワザワザワザワと胸騒ぎがしたんよ!」
意識がもどってきたあっちゃんを頬ずりしながら涙ぐむばあちゃん。
ばあちゃん、本当にありがとう。
「ひろむは、カンがええけん。お利口さんじゃけん。」
そんな言葉がけで、その気になったボク。
本当はそんなにお利口さんじゃないのに、のびのびと今まで生きてこれたのは、ばあちゃんのおかげ。

ばあちゃん、本当にありがとう。

ボクが、ばあちゃんのところに行ったら、ひ孫の話をしてあげるけん。楽しみにしといてな。
それまで、ばあちゃんに言われたように人の悪口言わんように生きるけん。

ばあちゃん、本当にありがとう。

お付き合い、どうもありがとうございました。


佐伯惟弘