東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

原始感覚の不思議。

来たる4月29日、2011年春季東京操体フォーラム分科会が開催される。今回は「快適生活のススメ 今よりワンランク上の生活を目指す方法」というテーマである。臨床はさておき、生活の中に操体を活かす方法を提案していきたいと思っている。ゲスト講師には、日本を代表する音楽プロデューサー、新田和長氏をお招きしている。様々なアーティストを育て上げ、現在は平原綾香嬢のツアーのグランド・デザインを手がけられている新田氏からどのようなお話が聞けるか、今から楽しみにしている。
生活に活かす、ということで今回実行委員は「息食動想」の4つのグループに分かれ、それぞれのテーマで発表することになった。「息食動想」それぞれにつき、一人づつの発表になるが、他のメンバーもそれぞれのテーマに沿ったレジュメを作成し、それを配布する予定である。

東京操体フォーラムの活動をはじめて10年になるが、私は「楽と快の違い」とか「皮膚へのタッチ」「動診と操法の違い」というような発表をしてきた。考えてみると「想」に関する発表をしたことがないのである。勿論ないがしろにしているわけではなく、大切な事だと認識しているのだが、まだ「想」を語るにはちょっとおこがましいかな、早いかな、という気持ちがあったのかもしれない。そういうことを考えて、企画を練っていたのだが、今回は「想」の部分の発表をさせていただくことになった。

「息食動想」の中で、一番ディープな部分である。また、単に「明るくおおらかに感謝して生きましょう」という問題でもない。もっと深いものがある。
操体の中でもコアの部分であり、橋本敬三先生の思索の歴史を考える上でも大切な事項だ。今から準備して臨むつもりだ。


私達は「原始感覚」を大切にしている。原始感覚とは「快か不快かききわけるちから」のことだ。原始感覚は「快」そのものを指す場合もある。患者様、クライアントの鈍っている原始感覚を目覚めさせるのが操体の目的でもある。私達操体指導者・実践者も日々「原始感覚」を磨く勉強をしている。視診も触診も原始感覚というか、操者自身の感覚の鋭さについては無関係ではないからである。
原始感覚というのは「直感」にも通ずると思う。五感のうち、誰しもが1つか2つ優れている感覚があるそうだが、そこから磨いていくのも手かもしれない。私は強度の近視なのだが、実際には見えないものを、額の裏辺りのスクリーンに投影したりすることはできる。つまり、比較的見たい映像を呼び出すことができるのである。これは、10代の頃に熱心にやっていた瞑想の練習のたまものでもある。例えば、朝家を出てから駅に着くまでの道をそのまま再体験してみるとか、部屋の中を「小さな私」になって歩き回るような練習である。こんなことを繰り返していると、できるようになってくるのだ。逆に考えると「裸眼で見えない分、裸眼で見えないものが見える」のかもしれない。

新版 冥想―こころを旅する本 (Yoga and meditation)

新版 冥想―こころを旅する本 (Yoga and meditation)

三浦先生の「皮膚からのメッセージ」では、操者自身が「色光現象」を観る事例が載っている。色光現象とは、皮膚への接触(第3分析:点の渦状波)時に、意識飛びの現象と共に起こることがある「色と光」を患者が見る現象である。これは、患者自身が見ようと思って見ているのではなく、からだが、あるいは無意識が「治し」のために見せているものだ。また、この時に操者自身も色光現象を観ることがある。これは三浦先生に確認してみたが、これも操者が見よう見ようとして見るものではなく、操者自身の無意識が見せてくる現象だそうである。

皮膚からのメッセージ―操体臨床の要妙part 2

皮膚からのメッセージ―操体臨床の要妙part 2

「ありありとイメージする」という瞑想の手法と、操者が観る、無意識が見せてくる色光現象の違いの区別はしっかりつけるべきだ。「楽」と「快」の違い位の認識を持ってもいいと思う。
自らの脳裏に自分でイメージした映像を投影して「色光現象」ということではないのである。つまり、「色光現象」は一生懸命観ようと思っても見えるものではないのだ。
色光現象は、操者の無意識がつけてくるものなのだから、見えないと言って悩んだり、逆に一生懸命観ようとすることはないと思う。人によって発達している感覚は違うからだ。
臨床時、私は色光現象というよりも、自分のからだが反応するのを感じる。被験者がきもちよさを味わっている時、自分のからだの一部が共鳴し、反応するのである。これが私のからだの感じ方であり、それでいいと思っている。聴覚が発達しているのだったら、耳からの反応があるかもしれないし、皮膚に何かを感じることもあるかもしれない。そうやって自分の優れている感覚を磨く勉強をしていけばいいのではないだろうか。

原始感覚ということで1つ。私は昨年から「モバイル中谷塾」で中谷彰宏氏の書籍を携帯で読んでいる。その中で、中谷氏が読者のお悩み相談にずばっと短く答えるコラムがあるのだが、それを紹介したいと思う。
相談者は20代女性。相談内容は『今の彼氏とのセックスが楽しくない』という相談である。前の彼氏とは楽しかったらしい(笑)。
対する中谷氏の答えは如何に。
「セックスしたくない相手と一緒にいるのは、誰とでもするのと同じくらいもったいない。」
それは相手が間違っているからで、女性の遺伝子が男性の遺伝子を欲しているからです。楽しくない、したくなくなるのは、女性の遺伝子が「この遺伝子ではなかった」と判断したから。女性の遺伝子には限りがあるので、無駄なことはしないようにできており、もし、相手が運命の相手なら、どんなにしてもますます欲するはず。遺伝子が求めていない相手と、しようとするのは自分の遺伝子をムダにすることであり、誰でもいいのではなく、そういう相手を探すのが先決。という回答だった。

原始感覚って遺伝子なのである。

好きなんだけど、相性が今ひとつ(爆)で、ましてや子供という選択は考えられない、というケースもある。また「これと言って何も文句はない人だけど、どうしても生理的にダメで、同衾なんてもってのほか」という場合もある。それはやっぱり原始感覚と遺伝子なのだろう。これも書いていると果てしなく長くなるので、ここらでやめておこう。

ちなみに「原始感覚に従う」というと、必ずや「じゃあ、やりたいことを全部やっていいのか」とか「赤信号でも渡りたい時は渡っていいのか」「殺人が楽しかったら人を殺していいのか」「行きたくなかったら約束破ってもいいのか」という極論を言う方がいる。これを書いていると長くなるので、今日はここまでにするが、答えは「迷惑をかけずに」「からだにききわけて、ほどほどに」である。

一週間ありがとうございました。

明日からは島根の福田画伯です。お楽しみに

畠山裕美


2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/

2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。


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