東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

江戸の女と恋愛観。

義経記」を最初に読んだのが小学校二年。いや、その前に「一休さん」を読んでいた。マンガではなく、一生を描いた伝記である。6歳で出家するが、その時の名前は周健。「とんち」で有名な子供時代は「しゅうけん」と呼ばれており「一休さん」ではなかったことは知っていた。
その後、父親が池波正太郎藤沢周平マニアだったため、家にあった時代小説を読みまくり、勿論月曜8時の「水戸黄門」は欠かさない。必殺シリーズもその頃から好きだった。
水戸黄門」よりもはまったのは「江戸を斬る2」だった。私はmixiの「江戸を斬る2コミュ」にも入っている位である。
西郷輝彦が遠山の金さん、森繁が水戸斉昭、松坂慶子が斉昭公の娘で、故あって「魚政」という日本橋の魚屋の女将「お政」に預けられた娘で実は「紫頭巾」、松山英太郎がねずみ小僧次郎吉、千葉周作中谷一郎風車の弥七)という豪華キャストであった。

江戸を斬る II [DVD]

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また、高校生の時は「Lala」に連載されていた、山岸涼子の「日出処天子」(ひいずるところのてんし)にはまっていたため(聖徳太子こと、厩戸皇子が両性具有的な魅力を持って描かれていた。今読んでも面白い)、歴史テストはほぼ満点だったが、地理ができなかったので割って2、みたいな感じだった。
厩戸皇子がもしかしたら両性具有かも?というような描写をしたのはおそらくこの作品が初めてである。ちなみに私の友人は、LaLaを買ってきて家の居間に置いておいたところ、お父さんが「何だお前は!!!」と怒鳴ったらしい。「どうしたの?パパ」と聞いてみると、何とお父さんはLaLaの巻頭カラー口絵(下の第3巻の表紙のイラストで、雑誌のほうは見開き折り込み豪華カラー口絵だった)を見て「春画」だと勘違いしたらしい。それくらい妖しい雰囲気が漂うイラストだったのである。

日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

その後「独眼竜政宗」が放映されるが、両親が宮城出身であり、仙台には親戚が数多く住んでいる私にとって、非常に魅力ある番組だった。ちなみに、宮城には「畠山」が多いが、登場する「畠山家」は、政宗公の父、輝宗公を拉致し殺害し、政宗に攻められ落城している。また、私の屋号「TEI-ZAN」は、政宗公の諡号(貴人の戒名)「貞山公」から戴いている。仙台に行くと必ず瑞鳳殿(政宗公墓所)に詣でるが、最後に行ったのは昨年の12月。3月の震災で、石の灯籠が倒れている写真を見た。もう、元に戻ったのだろうか。一日も早い復興を祈るばかりである。

余り長くなると「今回のテーマと何が関係あるんじゃ」と言われそうなのでここらへんにしておくが、最近時代劇映画が多く制作されている。実は結構観ているのだが、最近も何本かみた。大抵は武士の話で、出てくる女性はみな凜として、慎ましやかで、しかし芯は強い女性が描かれている。

たそがれ清兵衛 [DVD]

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武士の一分 [DVD]

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ところで、この本。

江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

春画で性知識を身につける娘に、奔放な性愛を楽しむ長屋の女房・・。三つ指ついて夫の三歩後ろからついてくる」女性像なんてとんでもない。本当は”超恋愛体質”だった江戸の女たち。

まず、江戸時代の町娘たちは12歳から13歳くらいで異性を意識しはじめ、15,6歳で一人前の色恋いを楽しんでいたらしい。その際の「恋愛マニュアル」のひとつが春画だったそうだ。江戸時代の有名な絵師達も役者絵、美人画などと共に、春画を手がけている。というか絵師だったら大抵は春画を制作するものだったらしい。また、春画は恥ずかしいものではなく、堂々とした作品として制作されていたので、老若男女問わず鑑賞するものだったようだ。当時は「枕絵」とも言ったようである。当然「エロ」の雰囲気はあれど、淫靡なものではなく「お笑い」感覚だったようで、なんとおもちゃ屋の軒先に貼ってあったりしたので、子供も当然目にしていた。確かに「淫靡」というよりは、「何これ(笑)。こんなのあり〜?」「絶対あり得ない(笑)」みたいな絵が多いのは事実である。

幕末に来日した外国人の多くが、町中に平気で春画があふれているのを見て度肝を抜かれたという記録もあるそうだ。

面白いのは、黒船来航の際にあわてていたのは武士だけで、庶民は小舟を出して黒船からのボートに近づいて、水夫をからかうために、丸めた春画をボートに投げ込んだらしい。水夫が飛んできた紙を広げて赤面するのを見て、江戸っ子は大笑いしていたのだ。
プロイセンの使節団として来日した、ラインホルト・ヴェルナーは、「10歳の子供でも既にヨーロッパの貴婦人の殆どが知らないような性愛のすべての秘密と馴染みになっている」「若い女性が当然のことのように、また何の嫌悪すべきことでもないように、そういったもの(春画)を買い求めるのは普通である」と、書いている。

春画は「お笑い」感覚であり、武家では嫁入り道具の一つでもあった。面白いのは、武家では甲冑をおさめておく具足櫃(収納箱)の中に春画をいれておくと、戦に勝つという迷信まであったらしい。そこまでして隠しておきたいか(笑)。とにかくみんな大好きだったらしい。

私は時代劇マンガも好きなのだが(「乱」とか読んじゃうのがバレバレ)、江戸時代の風俗を書いているのがこれ。勿論「艶物」なのだが、武家の姫様が嫁入前に、御指南役に春画その他を使ってトレーニングする話とか、介添女(若い夫婦と一緒に添い寝して夫婦生活を指導する年増)の話、江戸時代の混浴風呂の話などが書かれている。時代物としても読み応えがあるし、絵がきれいで女の子が可愛い。

浮世艶草子 (1)

浮世艶草子 (1)

これは、私の以前の同僚(かなり年上)の方から聞いた話である。彼は某大手電機メーカーに勤めており、若い頃は海外駐在が多かったそうだ。
彼がギリシャに駐在していた時の話。彼が下宿していたところは、石造りの高い建物だったらしい。そして夜になると、女の子が石の壁をよじ登って夜這いしてくるのだそうである。
どうやら日本人と聞いて、珍しさもあったのだろうが、コトが終わってから「ウタマロかと思ったらピッコロ(子供)じゃないの」と言われたそうだ。おそらく、江戸末期から海外に流れた浮世絵(勿論春画含む)から「日本男性はウタマロ(の書いた春画)並」だと期待されたのだそうだ。これもお笑いと言えばお笑いである。


おまけ。
もうひとつ思い出したこと。
大学生の頃、毎週新宿のツバキハウスで遊んでいた。私はヘヴィメタル好きだったのである。日曜の「メタルナイト」だった。当時のDJは今も日本のヘヴィメタル界のゴッドと呼ばれる伊藤政則(マサ伊藤)だった。60越した現在でもメタル道を貫いている。
まあそれはいいとして、その中の同年代の女の子が、夏休みにアメリカに留学して無修正の男性ヌードが載っている雑誌を買い、それを持ってきたのである。いわゆる「ブルーボーイマガジン」というヤツだ。私も見せてもらったがまだ子供だったのか(笑)『エロというよりグロ』という感じであった。つまり、様々な人種の逞しいハンサムな男性がぶらんぶらんさせている写真が載っているわけで(笑)、私にとってはかえって間抜けな感じがした。

一方、その雑誌に群がってあーでもないこーでもないおおきいのちいさいのと騒ぎ、食い入るように写真を見ていたのはむしろ男の子のほうだった(笑)。