操体の「動診」というものに接してみて、からだの動き、とりわけ筋肉活動に考察を思いめぐらすようになった。その筋肉活動をこなしていくにはそれなりの熱量、すなわちエネルギーが必要になるわけであるが、からだが消費する全熱量の三分の二以上が筋肉を働かすために費やされることになる。この筋肉は手足を動かしたりする横紋筋のように大脳の働きによる意志の力で支配されていることから随意筋と呼ばれる。また外部環境と交渉できるので、外部関連神経系に属する筋肉でもある、この筋肉活動に関係する動診が三日目の検証だ。
筋肉は随意筋だけではなく、内臓や消化管、血管などの構造を作っている筋肉郡が別にある。これらの筋肉は、本人の意志が及ばない、まったくの自力作動をしているので不随意筋と呼ばれている。そして内臓の筋肉等は自律神経系に属するものであり、随意筋よりその数はむしろ多い。
操体の動診はこういった筋肉郡に働きかけるのであるが、筋肉の生理的特長は、その収縮能力にある。この筋肉を構成しているミオシンという蛋白質自身の性質が収縮能を持っている。しかし、随意筋と不随意筋とでは、筋収縮の特徴が若干異なっている。随意筋は多数の筋線維からできており、それぞれが収縮部と運動終板と呼ばれる二つの部分を含んでいる。このうち運動終板は、筋肉と神経物質からなっており、神経線維と筋線維との接合部に位置している。
随意神経のインパルスが運動終板に達すると、終板と収縮部との間に電位差を生じ、その結果収縮部が収縮する。こうした電位差の変化はアセチルコリンという物質が関与しており、ごく僅かな量で働く生物学的なエネルギー量子のことで神経線維の末端に濃縮して存在している。
操体の動診において、被験者が動きを通すのに際して、操者が介助の動作を決める。そこで被験者はまず、動きのイメージを行なうことになるが、これは生物的エネルギーを神経線維に伝える。そうすると、生体電気化学的なインパルスとして認識され、アセチルコリンに働きかけることができる。このとき、操者が介助抵抗を与えているので、筋肉はアイソメトリックな緊張の収縮状態になっている。つまり筋肉の両端ともしっかり押さえられており、自由に収縮させることができない。ここで筋肉の両端のうち一方が自由に動かせる状態に抵抗を緩和させて筋肉の収縮を可能ならしめるのである。いわゆるアイソトニックな筋肉収縮の状態にすることでからだの動きを誘導していくことになる。
このように筋肉は緊張から収縮へと滑らかに移行させていくと、筋肉活動は全身に連動し、筋肉、骨、感覚器、体表をおおう皮膚の隅々まで伝わってくる。それらすべての神経線維が順にまとまって末梢知覚神経になり、背骨から脊髄に入って、そこから上昇して脳の感覚領域に達する。こうした一連の流れは快・不快という感覚の選択を経たのち、快に身を委ねるという自然法則に従うことができるようになる。
ところで、「アイソトニック」と「アイソメトリック」の違いについてであるが、アスレチック・トレーナーたちの間では良く使われる言葉だ。語源で見ると、「アイソ」はアイソトープと同じ「等しい」という意味で「トーン」は調子、アイソトニックは「調子が等しい」の意味になり、筋肉の自由な伸び縮みが許される無理のない調子が維持できることを示している。つまり楽に筋肉が動ける状態のことを言っている。これに対してアイソメトリックの「メトリック」というのは、計量のメートルに関係した言葉で、筋肉の長さが常に等しく維持されることを示している。縮もうとする力が働くのに、二つの支点で頑張って縮まないようにするのであるから、筋肉には最大の張力がかけられる。このような要素をおり込みながら、それにとどまることなく、それ以上の目的に対する綿密な技法を加えたものが操体の動診である。
動診というのは、きわめて徹底した技法で心身の向上を目指し、からだの自力自療につなげるこういった一大体系が、操体という日本医学に存在していることには、実に驚嘆すべきものがある。