東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

マーラーの音楽

操体は、橋本敬三先生が天才的な嗅覚で「野次馬根性」をもって集められたものを繋げた上で化学変化を起こしたものである。と捉えることが出来ると思う。
マーラーの音楽を聴いていると、時々フッと操体を想う事がある。

―「小澤征爾さんと音楽について語る」小澤征爾×村上春樹―(新潮社)には、村上さんの興味深い言葉が散見する。

247p. 村上:「マーラーは、ドイツ音楽の正統性みたいなところから、半ば意識的に、半ば潜在意識的に離れていった人ですよね。」


219p. 村上:「(前略)マーラーの音楽に俗謡的なものが顔を見せたり、ユダヤ人の音楽が急に出て来たり、というのが納得できる様な気がするんです。シリアスな音楽性、耽美的な旋律の中に、そういうものが乱入者のように混じり込んで行く。そういう雑多性というのはマーラーの音楽の魅力の一つになっていますよね。(攻略)」


250p. 村上:「(前略)マーラーの音楽にあっては、アンダーグラウンド的というか、地下の暗闇に潜っている意識の流れみたいなものが、積極的に取り上げられているように感じられます。そこには、矛盾するもの、対抗するもの、混じり合わないもの、峻別できないもの、そういういくつものモチーフが、まるで夢を見ている時のようにほとんど見境なく絡み合っている。(攻略)」

お聴きになる機会があれば・・・・・私がどう感じとったか・・・・・イメージして頂けるだろうか・・・・・。

マーラーは、「いずれ、私の時代がやって来る。」と語った。
橋本敬三は、「俺のやっている事は60年先を行っている。いつか理解される時が来るだろう。」という言葉を遺した。

それぞれ、ワン・アンド・オンリーの人である。


半蔵