今週のブログを担当する岡村です。
テーマは引き続き「フリー」ということで、お願いします。
「からだ」へのアプローチも、
「からだ」からのメッセージも、
自然の法則性、共生共存を大切に。
近年、病院に行って何か「からだ」が
おかしくなってくると、
「老化によるものだから仕方がない」と
言われ、諦める方が多いかもしれない。
しかし、本質はそうでは無い。
そのような、自分自身の「からだ」を丁寧に活かし、痛んだところを丁寧に使って、
コツコツお手入れするようなことをすれば良いだけであろう。
昨今の日本では、「からだ」は新しいほど価値があり、
50歳も過ぎると「老化現象」と言われるようになってしまった。
「家」も減価償却により新しい家ほど価値がある。
といわんばかりに、街の景観もどんどん変わっていく。
田舎の景色とは、既に日本的な良いものは残っているところが少ない。
ますます、日本古来の継承されてきた牧歌的な風景は失われていく。
そのような家だけではない。
毎年の流行を「常に」追いかけるようなやり方は、地球に優しくないばかりで、
いくら資本主義といえども、そろそろ改める必要があるのだろう。
目的に適い、法則に適い、真理に適う。
これこそ、熟成していく醍醐味なのだ。
例えば、「老化現象」を呪いと考えるか、
それとも「熟成」と考えるか、はたまた「祝い事」と考えてみるか。
宇宙観と「からだ」観は繋がってくる。
世界はいつだってありのまま、あるがまま。
「病気なんてネエんだって、何べん言って聞かせてもわかんねぇ」
このように、橋本敬三師は放言されていた。
自然な状態を病んでいると感じたのなら、あなたのいる環境、
もしくは、あなた自身が想念を一時的に
病ませているだけかもしれない。
ミクロはマクロに転化できないとされている。
例えば、アリは空高くから落ちても怪我したりしないけれど、ヒトが同じ高さから生身で落ちたら大怪我してしまう。
なにもわざわざ、地獄の道を歩む必要などこれっぽっちも無く、無茶しなければ良い。
精神的な幸福、心からの平穏、至福の人生を望むなら、熟成し「祝い事」としてみよう。
まずは、「からだ」の声を受け取れるように「からだ」からのメッセージに素直になる。
ここから始めてみようではないか。