東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

熟成する人生①

今週のブログを担当する岡村です。

テーマは引き続き「フリー」ということで、お願いします。

 

「からだ」へのアプローチも、

「からだ」からのメッセージも、

自然の法則性、共生共存を大切に。

 

近年、病院に行って何か「からだ」が

おかしくなってくると、

「老化によるものだから仕方がない」と

言われ、諦める方が多いかもしれない。

 

しかし、本質はそうでは無い。

 

そのような、自分自身の「からだ」を丁寧に活かし、痛んだところを丁寧に使って、

コツコツお手入れするようなことをすれば良いだけであろう。

 

昨今の日本では、「からだ」は新しいほど価値があり、

50歳も過ぎると「老化現象」と言われるようになってしまった。

 

「家」も減価償却により新しい家ほど価値がある。

といわんばかりに、街の景観もどんどん変わっていく。

 

田舎の景色とは、既に日本的な良いものは残っているところが少ない。

ますます、日本古来の継承されてきた牧歌的な風景は失われていく。

 

そのような家だけではない。

毎年の流行を「常に」追いかけるようなやり方は、地球に優しくないばかりで、

いくら資本主義といえども、そろそろ改める必要があるのだろう。

 

目的に適い、法則に適い、真理に適う。

これこそ、熟成していく醍醐味なのだ。

 

例えば、「老化現象」を呪いと考えるか、

それとも「熟成」と考えるか、はたまた「祝い事」と考えてみるか。

 

宇宙観と「からだ」観は繋がってくる。

世界はいつだってありのまま、あるがまま。

 

「病気なんてネエんだって、何べん言って聞かせてもわかんねぇ」

このように、橋本敬三師は放言されていた。

 

自然な状態を病んでいると感じたのなら、あなたのいる環境、

もしくは、あなた自身が想念を一時的に

病ませているだけかもしれない。

 

ミクロはマクロに転化できないとされている。

例えば、アリは空高くから落ちても怪我したりしないけれど、ヒトが同じ高さから生身で落ちたら大怪我してしまう。

なにもわざわざ、地獄の道を歩む必要などこれっぽっちも無く、無茶しなければ良い。

 

精神的な幸福、心からの平穏、至福の人生を望むなら、熟成し「祝い事」としてみよう。

 

まずは、「からだ」の声を受け取れるように「からだ」からのメッセージに素直になる。

ここから始めてみようではないか。