不可視なるものをテーマに書こうと思っていたら、結局、一
週間『気学』ネタで終了してしまいました。
私がこの『九星気学』を学ぼうと思った動機は幾つかあるの
ですが、その中で大きなウエイトを占めたのは、九星気学自
体が、根源的には中国の思想が反映されていますが、それら
を体系付け、深化発展させた”Made in Japan”の手法であっ
たということです。
丁度、橋本敬三先生が様々な手技療法研究の中から、一定法則
を見つけ体系化し、東洋医学でも無く西洋医学でも無いMade in Japanの
『日本医学』である『操体法』を創案されたことと心情的にダブ
ったのも大きかったのかもしれません。
そして何よりも、個人の運勢とか運命などと言ったミクロな視点
では無く、宇宙そのものの存在を肯定し、個人、或いは全体に反
映させた大局的視感と生命観に共鳴したのだと思います。
どの業界でもそうですが、トップになる人達に共通しているのが、
最終的に行き着くのが、『不可視なるもの』への探究です。
これはどうやら業界は違っても、共通のようです。
経済界で言えば、うちの師匠が大好きな『スティーブ・ジョブズ』
が禅に傾倒していた話しは非常に有名です。
ジョブズがアップル社を辞めて、” NeXT”社を立ち上げたものの
経営が思うように行かず、悩んでいたときに大いなる心の支えに
なったのが、『乙川弘文』師と言われる曹洞宗の僧侶でした。
短気で口の悪いジョブズを禅の世界に導くことができたのはある意味
お互い型に、はまらないイノベーターであり、アートとデザインに情熱
を持つなど、多くの共通点を持っていたこともその要素だったと思います。
ジョブズは彼から、禅だけでなくデザインのコンセプトが何かという
ことも学んだそうです。
あの革新的デザインのエッセンスの根底に『禅』があったなんて何だか
面白いです。
二人の強い繋がりは、ローレン・パウエルと結婚した時に、乙川師が式を
執り行ったことでも分かります。
80年代半ばにジョブズが乙川師から何を学び、アップルにどのような影響
を与えたか『The Zen of Steve Jobs』の中に、
ジョブズは乙川師から、心身を整えるため一定の場所をゆっくりと歩く
『経行(きんひん)』の手ほどきを受けています。
仕事のことが頭から離れずイライラするジョブズに、師は「正しく瞑想する
には、全ての思考を取り去ることが必要。その思考がよいものであれ、悪い
ものであれ、捨てることです」と伝えたそうです。
師に導かれるまま、「呼吸をしてから、一歩進む」を繰り返し師が座禅を組
む岩を中心に円を描く様に歩むジョブズに、「かどを回ることは必要不可欠
なことなのですよ」と、氏は教えたそうです。
ただ一つ残念なのは、ジョブズは恐らく、師とのこのやり取りが切っ掛けで
2016年オープン予定の宇宙船型新社屋の構想に行き着いたかと思うと、これ
からのアップルの行く末に思わず『????』と思わざるを得ないことが残念です。
この新社屋『家相』上、見事な中抜け、中心の無い主人不在の社屋で、ここ
最近のアップルの株価や動向を見ていても、今後が大丈夫か・・・と心配になる状況です。
話しを戻しますが、ジョブズの有名なスピーチのエッセンスが『道元』など禅僧の
考え方とよく似ていると称されるのも、思想としての不可視な世界を経営レベルに
取り入れたことにあると思います。
日本でもJALの再生に尽力された、稲盛和夫(京セラ名誉会長)氏の経営哲学も、
根底には心の部分を重要視されています。先週まで日経に連載でJAL再生の道程が
描かれていましたが、とても興味深い内容で、官僚化していたJALの経営者、幹部
達との戦いの日々を描いたものでした。
稲森氏と言えば通信業界の巨人、NTTに対抗すべく、DDI(現KDDI)を立ち上げ、
通信業界に一石を投じました。『アメーバー経営』『利他主義』の考え方など
そのバイタリティと『心の経営』と言われる原点は、以外にも少年期まで遡ります。
尋常高等小学校入学当時に不治の病と言われた”結核”にかかり死を覚悟したのだそうです。
その時に近所のおばさんに渡されたのが、生長の家の谷口雅春氏が書かれた
『生命の実相』だったそうです。
この話を詳しく書くとそれだけでブログ終了になりそうなので、掻い摘まんで話しますと、
俗に言われる『引き寄せの法則』のことです。氏が幼いながらに心に刻み込まれたのが、
以下の一文だったそうです。
「われわれの心の中にそれを引き寄せる磁力があって、周囲から剣でもピストルでも
災難でも病気でも失業でも引き寄せるのです。」まさしく”引き寄せの法則”です。
叔父の世話をしていた他の家族はかからなかったのに、叔父さんの病気から逃げよう
逃げようと結核を気にしている心が災いを呼び込んでしまった、まさに『心』が病まで
引き寄せてしまったと語っていらっしゃいます。
その後、言うまでもなく稲盛氏は日本を代表する経営者になられたわけですが、
97年には京都・八幡の円福寺で在家のまま得度、「大和(だいわ)」の法名をもらわれました。
托鉢も行うなど、そのまま仏門に入られるかと思っていたら、前述したようにJALの
再生へと駆り出されたわけです。
奇しくも橋本敬三師も谷口雅春氏の“生命の実相”から得られた気付きが多々あり、
特に食の部分に関しては大きく影響を受けられています。
余談ですが、この谷口氏は私が自分のレーベンステーマにしている、『出口王仁三郎』
の大元を脱会し、生長の家を起こしています。一般的には橋本先生の治療所にもあった
という、日めくりのカレンダーでお馴染みの団体ですね。。
一週間『不可視なるもの』をテーマに書きましたが、良くも悪くも現在の様な、
デジタル世界で生きるとは、昔以上に目に見えない心の部分の管理が大切になって
来るのは間違いないのです。
物質の豊かさは求めれば求めるほど、喪失を恐れるが故に、固執と執着を生んで
しまいます。目に見えるものへの執着は欲への大いなるこだわりしか生まず、
結果的には自分しか信じられない、かの富豪ハワード・ヒューズの如き、
寂しい人生の結末を向かえることとなってしまうでしょう。
『不可視なるもの』とは心でしか、みることが出来ず、触れることも味わうことも
匂うことも出来ません。五感のみに頼り目に見えるものだけが全てだと人間が全能
を気取っても所詮は大宇宙の一個の生命体でしか無いのです。
操体とは宇宙への学びであり、不可視なものへの繋がりを重視する学びなのです。
生かし生かされることへの感謝と、一日一生『一期一会』の精神で進んで行きたいと思います。
一週間、何だか分かったような分からなかったようなお話にお付き合い戴き
有難うございました。明日からは不可視な世界の達人、三浦先生の順番です。
お愉しみ下さい。