あなたの宝物は何ですか?
そう聞かれると、
「私は家族!」、
「俺は車!」、
「いやいやお金でしょ!」、
中には「ずっとしまっておきたい大切な思い出…」、と
人によって答えは様々だと思います。
では、私はというと、
迷わず「ハイ!私の宝物は私です!」と答えるでしょう。
こんなふうに答えると、
「この人、ナルちゃんなんじゃないの(苦笑)」なんて声が聞こえてきそうですが、
いやいや、私はナルちゃんでも単なる個人主義でもありません。
そもそも私という人間は(誰しもそうですが)、たくさんのご縁によって形作られています。
両親がいなければ、この世に生を受けてはいないでしょうし、
両親のそのまた両親がいて、そのまた両親の…なんて遡っていったらきりが無いぐらいです。
生を受けたあとは、両親以外にも兄弟や友人、学校の先生に、職場の上司、
その他大勢の皆様方と関わりあって、そのご縁の中で成長してきたんです。
学校で教わることも、社会で教わることも、教えてくれた人たちだけではなく、
その教えを最初に考えた人がいたからこそ。
私が学んでいる操体も例外ではなく、橋本先生もお医者さんでありながら、
民間療法の方々に治療を教わり、それを元に操体を編み出され、
三浦先生がさらに深化させてくださり、操体を学ぶ先輩方がいて、その中に私がいる。
そう思うと私に私が入る余地なんて何処にも無いと気づくんです。
今まで生きてきて、
自分の血肉となり、自分を形作っているものはすべてご縁によっていただいたもの。
私は私であらず、ゆえに「私が宝物」というのも文字通りの私ではなく、
「私を形作ってくれたすべてのご縁が宝物」ということなんです。
一つ付け足すことが。
それは、私の中に私が入る余地が無いなんていいましたが、自分自身はあるんです。
自分自身があるからこそ、つながるものと向き合うことができる。でもそこには私はいない。
「自分自身って私のことなんじゃないの?」と
思われた方は是非、操体の門を叩いてみてはいかがですか?
きっとまだ会ったことのない「自分自身」に会えると思いますよ。
今日はこのへんで。ありがとうございます。