東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「目」とか「みる」とか その5


「〜「みる」というのは、非常に多義にわたる内容をもつ言葉ですね。

目で見ることを日本人は非常に大切にしてきた。

そして、人生のいろんな局面を「みる」ということばで表してきた。

人間のからだも「診る」し、人間のいのちのケアの意味で「看る」し、

最後には「看とる」。「看とる」は死んでいった人を「見送る」ことです。

文字通り「見」て「送る」わけですね。

〜 生きている人は死んでいくところをしっかりと目で

見なくてはならないんですね。このように、日本人は生死にかかわることを

「みる」ということばに託していたんです〜」

(『からだことば』 早川書房 / 立川昭二 著)


「みる」という言葉はホントに多義にわたります。


立川氏によると、本来「看」は「手」に「目」がついているように

「手をかざしてよく見る」という意味なんだそうです。


そして、看護のことを「手当て」というように、

「手」と「目」は看護の基本であり、目で「看る」だけでなく、

「手をかざす」ことで、からだの隅々まで看る。

さらに、いのちの最後までを「看とる」ということ。


まぁ、ワタシらはいのちの最後まで

「看とる」ことはできないかもしれませんが、

そういう気持ちで行う「手当て」がホントの意味での

「看る」ということなのかもしれません。


また、それは「操体法は技術・テクニック」ではないということにも

繋がるのかもしれません。


ところで三浦先生は

「からだをみさせていただく」という言い方をされますが、

これはきっとからだをモノとしてみているのではなく、

いのちそのものとしてみている言葉ではないかと思います。


そして、そういった感覚は

自然と相手のからだにも伝わるんではないでしょうか。


「みさせていただく」という意識を持つことで、

からだも「みせてくれる」。


もしかしたらこれが「診る」ということの

大事なポイントなのかもしれませんし、

見えないものを見るためのヒントの一つになるのかもしれません。



中谷之美