ここ数十年で一番進歩した技術は何か?と問われると、多くの方が
通信手段の変化と言われると思います。そもそも、タイトルの携帯
電話自体が死語になりつつある現状です。
今や携帯電話がスマホになり、東京で電車に乗っていると、前を向
いているよりもスマホ画面を覗いている人が圧倒的に多く、何だか
無機質な車内にゲッソリとします。
どうだろう?今の10代、20代の方々はポケベルは知っているのだろうか?
指定の電話番号にかけると、相手の持っているポケットベルが鳴って、
電話かけた側の番号が表示され、そこに電話をかけるという、今の
中高生からすると、「まじ、うぜ!」と一括されそうなくらいのアナログ
伝達法でした。
私はポケベルはもっぱら使うよりは売っていた方なので、数字の組み
合わせで強引に読ませる手法など、今考えるとあれはあれで楽しかった
気もする。
『889 194』(早く、行くよ)『084 09106』(おはよ〜起きてる?)などなど、
読み間違えてトラブルになったりと、結構笑えるネタがあった。
たまに再放送のテレビドラマなどで、ポケベルが鳴ってダイヤル式公衆
電話で通話している姿などはもはや、コントの様な気すらする。
当時、日本テレビ系で『ポケベルが鳴らなくて』という、幸薄そうな
裕木奈江が出演していたドラマもあった位です。因みに国武万里の主題歌
もそこそこ売れたかと・・・
ポケベルから次に出て来たのが、ようやく移動電話機でした。
その代表が「ショルダーフォン」です。
ショルダーフォンって見たことある人は間違いなく、30代以上だろうと
思われますが、出力が大きかったため、山岳地域や現場仕事を行う方な
どには結構、使われていました。
数キロもある本体を肩にかけて持ち歩くという、まさに肩掛け電話でした。
今や掌に乗るわポッケに入るわ、当時では信じられない感じがします。
ご存じの方少ないかと思いますが、1980年代後半時点では携帯
電話本体はレンタルでした。レンタル代金として初期費用8万円
近く払い、基本料金が2万円弱、通話料金は今よりもかなり高かった
と記憶しています。
当時は車乗りながら携帯かけているとガン見されていました。
まさに当時の携帯電話は成功者のシンボルだったのです。
ファミレスとか行くと、NTTの弁当箱と呼んでいたゴッツい、出力1ワット
の携帯をテーブルに、これ見よがしにどん!と置いて珈琲飲んでいる
スカした奴が当時、よく発生しておりました。
そんな携帯電話も自由化の波に押し切られレンタルから買い取りになり、
そこから携帯ショップがガンガン出来る様になりました。
その後も、アナログ電波からデジタル電波に移行し、気が付きゃ
あれよあれよという間に、国民の必須アイテムとなりスマホを手放せない
依存症の子供たちを作るまでになりました。
コミュニケーションツールとしてスマホは確かに便利になり、色々
な面で生活の恩恵を受ける様になりました。
しかし、便利になる一方でコミュニケーション障害とでも言うべき
人間間でのコミュニケーションが希薄どころか危機的状況にある様
な気もします。
目の前に親が居るのにメールで言い分を伝える子供や、LINEでの集団
イジメなど、何かが可笑しい様な気がします。
便利になることは代償も伴います。個人的に思うスマホが普及して
からの代償とは、男のメス化です(爆)
は?と言われそうですが、私たちの時代は好きな子に告白する際には
幾つかの障害がありました。基本は相手に直接告白がスタンダードですが、
勇気の無い奴は手紙を使い、更にチキンは友達に代理で告白など、色々
有ったのですが、いずれにしても、自らが意志を持って自分の思いを
本人なり、友人など人に伝える作業が明確にあったのです。
そして、更なる障害は付き合い始めてからもありました。
それは彼女の両親という第二のハードルです。
携帯電話が無い時代は、彼女とコンタクトをとるのは自宅の電話に
かけるしかありませんでした。事前に何時位にかけるから電話を取
ってくれと打ち合わせをしていても、オヤジさんが電話に出たりと
思わず電話切りそうになった経験も一度や二度ではありませんでした・・
その時にドギマギしながらも父上や母上に気に入ってもらえる様な
喋り方だとか礼儀正しさアピールなどは本当にその時期に磨かれました。
その時に培ったお母様に気に入られないと、その後の展開が
にっちもさっちも行かなくなるという法則は、確実に今の私にプラスに
なっています・・・
まぁ、あの電話を取り次いでもらうときの、あのドキドキ感は今の若
い子らには理解し難いでしょうねぇ〜
思いを人に自らの口を通して伝えることは非常に大切なことです。
最近よく、『言霊(ことたま)』という言葉を聞く機会が多くなったのですが、
以前のブログでも書きましたが、日本人は象意文字を使っている民族ですから、
名前も、吐く言葉も全て大いなる力を持っています。
汚い言葉を吐けば、汚い結果が帰ってきますし、言葉は口に出した時点で
ストップはききません。自分自身が抱える現在の心の有り様がそのまま言
葉として表現されるわけですから、操体でも『言葉は運命のハンドル』
という言葉が有りますが、『言うは易く行うは難し』です。
どんなに知識を詰め込み色んなことが分かっていても、実践出来な
ければ、ただの物知りでしかありません。物を知っていて行わない
のは愚の骨頂!知らないよりたちの悪い、存在に成り下がります。
コミュニケーション下手で成功した人は居ません。コミュニケーション
は人と人を繋ぎ、人を育て、次代にバトンを繋いでいく大切なツールです。
この大切なツールをスマホも良いけど、面と向かって伝える作業大事ですよ〜
自分の苦手な人こそ、自分を磨く大切な存在なのです、気に入らない
から排除するだけでは自分の醜い部分に蓋しているだけです。
自分の嫌な部分とも正面から真摯に向き合い、気付き、許し、認めることが
自身の大いなる飛躍へ繋がると考えます。