昨日の続き
何か知りたいことがあるときに、真っ先に頼りにするのが、スマホからの情報アクセスになって数年経つ。
もしこのデバイスを充電できない環境になったら、どんなことが起こるのか、
生活観もかなり変化しそうな予感がある。
携帯電話、スマートフォンだけじゃない。
電力の恩恵によって動くさまざまなインフラに支えられて今の人間は生きている。
人間自体に充電は必要ないけれど、機械に機能拡張を支えられている面においては、
見えないコンセントが人間に出現しているのと変わらないとも思う。
わからないことを機械に相談して回答を得られる場合と、本を読んで調べたり、あるいは人に相談してみて何かを得るときとでは、情報授受のプロセスが変化する。
改めて考えてみると、後者では無意識に作動しているわたしたちの皮膚感覚が、前者の情報授受の道中には乏しい。ストレートに求めている回答を得られるし、頭に働きかける刺激的な情報はあふれているように見えるけれど、からだを介した予期せぬ感覚情報からは少々分断されているプロセスのように思える。
予期せぬ感覚情報こそ、面白いのではないかと最近改めて思う。
感じることの境界線に存在している、生命に与えられし究極のデバイスである「皮膚」というもの。そのまだ知られていない可能性も含めて、もう少し人間は面白がっていけたらいいなと思う。