数十年前まではわからなかった生体の内部環境も、相当詳しく調べることが
出来るようになってきた。
例えば、先天的・後天的に備わる免疫反応系の病因(現象変化)を調べることにお
いても、今から100年前とは比べ物にならないほどわかってきているのである。
これは、生体防衛反応(サイトカインネットワーク)による生化学的変化であり、
私たちひとりひとりに対しての「生体内因(内的環境による要因)」であって、それが
複数の症状へと変化することも「基礎医学」の範囲ではかなりの程度で説明可能と
なっている。これは様々な素晴らしい研究の成果であろう。
しかしそれが、ひとりひとりの症状と「臨床医学」との繋がりに、明確な法則性
そのものが乏しいので、一般的な検査(スクリーニング検査)によって血液検査や
尿検査・単純X線検査などで異常が数値上に現れていない場合、更に細かなデータ
を求めて精密検査を行うのだが、病名診断できないことも多くあるのだという。
つまり、現代の日本では、その場合ほとんどが「対症療法」としての臨床医学的
処方となり、"国民皆保険"上の設定された現物給付として受けているのである。
そもそも、原因を除去する治療と薬物等で症状を抑える治療との比率も曖昧であり、
どこからどこまでが「本人」の責任分担なのか”ハッキリ伝えること”が困難となる。
基礎医学はますます発展して、臨床医学が遅れている(医療を提供する側問題)
の大きな理由は、そこを繋ぐ関連性にギャップがあるからであろう。
その理由の一つに挙げてもいいと感じているのが、現代医学の父と呼ばれている
「ウィルヒョウの細胞病理学」ありきの考え方なのである。
これでは、まず生命医学に適うどころか生命は細胞間で漂流してしまうのである。
その理由としては(国保の提供する資料より転載)「細胞病理学」の説明で、
「細胞の生じるところ、必ず細胞が存在していなければならない」とあるが、これは
全ての細胞は細胞から生じているはずだ、という仮説に過ぎない(1858年~)。
ウイルヒョウ曰く「人間の疾病は、人間全体がなるのではなく、細胞が自律的に
自分と同じ細胞をつくり、その細胞の存在様式の異常こそ、"疾病"なのである」と。
この仮説に真っ向から疑問を投げかけていたのが、「操体」の創始者橋本敬三師
であり、心身医学の基礎的考察の礎となった「ハンスセリエのストレス学説」を
引用し、症状疾患に至る経過を考察しているのは、「操体」を学ぶ者なら周知の
通りである。
ここでのキーワードは「ボディーの歪み」である。
ここに至らしめるには、なにが影響しなにが起こっているのかという「原因」追及
のみならず、「ボディーの歪み」を起こしている「からだ」の目的を認識し、その解
放に至るべく「操体の指導者」は最先端の医学として"生命そのものを学問に"して
いるので、「操体」という生命医学の架け橋として”おさめ”は成立するのだ。
生命は常に快適感覚を要求し、「からだ」の原始感覚を介して「本人」も認識する。
まさに、繰り返して書くけれども、義務教育での必修項目たる学びとなっていれば、
研究における「基礎医学」と、実際の「臨床医学」とのギャップなど、
アッと言う間に埋まっていくことは請け合いなのだから!
岡村郁生