「歪み」は一つの結果でもあるし、一つのプロセスでも
あるように思えます。
硬組織だけでなく、軟部組織もあるおかげでポキッと折れずに
歪んで対応することができる。
感覚することができるから、今の状態が快か、不快か判断すること
ができる。
健康と不健康の間を行ったり来たり出来るのがからだの凄いところ。
行ったきりで終わらない。絶えず変化している。
その変化の途中を切り取ったのが「歪み」なんじゃないかなあ
と思っています。
もちろん、間に合わなくなってしまうほどの「歪み」があれば第三者
の力を借りる必要が出てきます。やっぱりきっかけがあれば色々と
気づくことができますからね。
だから臨床で操体を通すなら自分のからだを通してこういったことを
理解していなければと思うんですよ。
「息」、「食」、「動」、「想」、「環境」とか「健康傾斜の歪体化」とか
「構造運動力学」とか「ボディの歪み」とか、他にも多くの操体観が
ありますが「こうしなければいけない」って縛ってしまうよりも、
絶えず変化の中でからだが要求することに応えるスタンスを持ち続けたいと
思うんですよ。
そういった中で、改めて「歪み」と向き合って
「診断」⇒「治療」という行為を操体を通して
磨いていきたいなと思うんですよね。