おはようございます。
操体には「間に合っていればいいんだ」という教えがあります。
生きるうえで自然法則に従い、からだが「間に合っていれば」
健康に過ごすことができる…
しかし、この「間に合っている」とは実際にどういう状態なのでしょうか。
この言葉をよく咀嚼し、今の自分の学びの段階で「こういうことなんじゃないか」
と思うことを書いていこうと思います。
「間に合う」という言葉は操体に限らず、日常でもよく使われています。
そして、使い方によってニュアンスが微妙に変化します。
例を出すと以下のとおり。
「ふ〜、間に合った〜」と言うときは、「ぎりぎりセーフッ!」という印象。
「これだけあれば、間に合うよね」と言うときは、「足りるよね」という印象。
「うちは間に合ってますから」と言うときは、「不自由してませんから」という印象。
このように、同じ「間に合う」でも感じ方が大分違います。
そもそも「間に合う」とは「間」に「合う」こと。
では「間」とはなんなのでしょうか。
私は『「間」とは自分と関連している空間や時間』なのではないかと解釈しています。
「誰かと一緒に過ごす時間」であったり、「人が集まる場所」であったり、
はたまた「自分のからだの中」であったり…
それらを一言で言い表せば「環境」ということになります。
そしてこの「環境」は絶えず変化しています。
自分の外側であれば、コミューンによって立場も変わるでしょうし、時間の過ごし方も
変わってきます。自分の内側であれば、活動内容によって体内環境も変化します。
ですから「間」は「絶えず変化する環境」とも言えそうです。
次に、「合う」とはどういうことなのでしょうか。
「合わせる」、「合っている」などの表現がありますが、
「合わせる」は「意図的に」、「合っている」は「自然に」という印象があります。
使い方は様々ですが、「合う」という言葉は、「対象があって、その対象と、
自分がどう関わっているのか」を示すとこなのではないかと思います。
つまり、「合う」とは対象とのコミュニケーション、さらにつっこむと
「対象と順応すること」なのではないでしょうか。
明日に続きます。
2014年4月27(日)
東京操体フォーラムが開催決定!
会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。
「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」
是非お越し下さい。