左と右、その左右の形態的な「差」というものを
できるだけなくしていくように
働きかけようとしていた時期がありました。
アタマのどこかで
臨床の「ゴール」を
からだに現れている左右差の解消に据えて
からだと向き合っていた頃。
もしかすると、からだにとっては
うんと迷惑な干渉になっていたのかもしれません。
左には左の、右には右の
それぞれに「役割」が在る。
その各々の性格が絶妙に絡み合って
生命活動は営まれている。
そういう捉え方で診てみると
「左右差」は最初から在るもの
生命にとって必要なもののようにも感じられてきます。
地面に根を張り
生命活動を表現している
樹木のスガタを見れば
「左右対称」とはひと味もふた味も違う
目に見えないバランスに則った
「左右非対称」の生き様がそこに在るように感じます。