最近の私はメモを三つ持つようにしている。その内訳は
①どこでも閃いたことが書ける小さなメモ帳
②それを清書するもの
③日記帳
これも②と③は100円で買えるようなものではなく、伊藤屋に行き1000円位のノートに書くようにしている。
それを日課として行うようになり変わったことは、
①自分の頭の中で考えていることが整理され、自分のやることが明確になった。
②次から次へと疑問・課題が見つかるようになった
③疑問に思っていたこと、分からなかったことが天から降ってくるように分かるようになった
こういったことを明確に書いている本があるので紹介したい。
マッキンゼーのエリートはノートに何を書いているのか トップコンサルタントの考える技術・書く技術
- 作者: 大嶋祥誉
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2015/02/27
- メディア: Kindle版
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この本で書かれていることを踏まえ、自分が日々書くことで気が付いたことがある。
それは書くこととは「感覚を磨くこと」にも繋がるということである。書くという動きの中で聞き分けられる、感じられる感覚があり、そこからしか得られない情報や閃きもある。それは思考するだけでは気が付けないものである。
こういったことは何か臨床にも通ずるものがある。
「思考して覚えること」とは動かさないで診ること。
「書いて覚えていくこと」とは動かして診ること。
命あるものには必ず動きがあり、感覚というものが生じていくる。その感覚は著しく変化するが絶対的なものであり、無視してはならないもの。
こういった書くことの重要性が分かってくると、本当に大切にしていることや知りたい事があるならば、読むだけでは駄目だということが理解よく理解出来る。
もしかすると神様が人間に与えた謎(神隠し)は「書く」という行為の中で明かされていくのかもしれない。
このように捉えると、「書くこと」とはSEXと類似する行為ではないだろうか。
SEXが神と繋がる神聖なるものであるならば、書くことも神や宇宙と繋がる神聖なるもののように思える。