先日のブログにも書きましたが、私の正義に対する価値観は両親や祖父といった自身の身近にいた人達からの影響が大きいです。
しかしそれをここまで育んでこれたのも、私が両親から生まれながらに授かった「良心」があるからだと思います。
近頃はこの「良心」というのは「愛」と同様に全ての生命の共有財産であり、一人一人がからだ、魂に宿しながらもそれを私達が共有する空間にあるものだと感じています。
ちょうどこのブログを書く前に自転車に乗っていた時に目の前でおじいさんが転ぶ場面に遭遇しました。
おじいさんが転ぶと直ぐに私を含めた周囲の人達は一目散に駆け寄り手助けをしたのですが。そういったことを当たり前のこととして出来るのもこの空間に「良心」が自在してあるからではないでしょうか?
この良心に問いかけてみるのも一つの善悪を判断する基準だと思います。
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です