「~がからだに良い」「~がからだに効く」等、そういった健康に関わる情報がTVやメディアを通じて見る機会が以前より多くなっている気がします。
それだけ自身の健康への意識が高まり、少しでも健康寿命を自分で掴み取ることへの意欲が高まってきていることが良い傾向だと思う反面、その情報だけを鵜呑みにしてしまうリスクも伴うことの怖さを感じています。
私も僅かな期間からだに良いとされる物やストレッチ等を実銭しましたが、からだの調子が良くなるものと何か調子が狂うものがありました。
その調子が悪くなるものは自身のからだが何か受け付けない感覚があり、食した後にイライラしたり何かをする意欲がなくしたりする時もありました。
その経験を通じて感じたことはからだに良いとされる物も、その時々の自身の体調やメンタルの状態で良くも悪くもなるということでした。
よくよく考えてみると本当に正しいとされる確かなものは何一つなく、人が正しく生きることにおいて感覚を聞き分けるということが良し悪しを判断するにはとても確かな頼れる基準なのだと思います。
それも自分の感覚ではなく、からだに聞き分けた感覚に頼ることが最善の選択です。
なぜならからだは私達が知らない正義を知っているからです。
からだが知る正義。とてつもない正義の味方です。
4月30日(月)昭和の日に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です