今週は静岡駿河区出身、茅ヶ崎市在住の岡村がブログ担当となります。
どうぞよろしくお願いいたします。
テーマは「憶の快」となりますが、そもそも「憶の快」という言葉自体、
全く一般的な捉え方ではありませんよね。
ですから、この漢字の意味を捉えやすくするため、まずは「憶」の意味、
そして「憶」を用いる熟語を並べてみましょう。
一、いろいろなことを思いやること。(使用例:「臆念、回憶、追憶」)
二、心にとどめて忘れないこと。(使用例「記憶」)
三、おしはかること。(使用例「憶説、憶測」)
改めて調べると面白いけれど、これ「憶の快」のイメージになりません。
なにか、熟語の意味が仮説的、自己完結というかんじであり、
「憶」の意味が現象的な否定に偏っている気がします。
ことわざではどうでしょう。チョット調べてみましょう。
「経験は知恵の父、記憶の母」・・・これは、なかなかイイ感じです。
この意味は、「人間の知恵は、経験とその記憶によって成り立っている」
ということになります。
そこで、経験が知恵とか記憶にあるとした場合、オススメの書籍がこちら↓
モノゴトのとらえ方を自由にするには、最高の経験とは読書が有効ですよね!
「自由であるということは、なにも私たちの行動が自然の法則に左右されない
と言うことではなく、私たちの脳の中で作用する自然の法則に従っていると
言うことなのです」(上記書籍のp108より引用。面白いですよ~!)
そして更に、経験と記憶の根源とは何か?興味は尽きません。
根源の快があるならば、一体どういうことなのかが問題になるわけでして、
明日からも真面目に「憶の快」について考察しますネ!