東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

憶の快ってなんだろう④

感覚の源流といえば、原始感覚。

橋本先生はこんなふうに書いておられます。

 

からだの設計にミスはない―操体の原理

からだの設計にミスはない―操体の原理

 

 
「自分の原始感覚に従って、自分のからだに合った行動
をとったり、食物をとったりする。私たちの先祖は、ま
さにそういう生活をしていました。やっぱり自分で自分
のからだを治す知恵を持っていたんだ。地震が近づけば
ナマズが騒ぐ。トウモロコシのような植物でも、その年
の風の強さ弱さで根の張り方を変えるというがそのよう
な感覚を持っていたんです。」

橋本先生は原始感覚のことを「勘」ともおっしゃってい
ますが、そこには動物的な「勘」だけでなく、植物的な
「勘」も込められていたのかもしれません。

動物が危険を回避し、獲物を求めるという原始的な勘。
植物がいながらにして宇宙と交流している調和的な勘。

ヒトにも動物にも植物にも空間的に貫通している感覚。
ヒトにも動物にも植物にも時間的に貫通している感覚。

「今」ききわけている感覚に意味づけをすることなく、
あるがままに受け取るということは、大脳による知覚で
はなく、原始脳が、ひとつひとつの細胞が、そのなかで
生きるオルガネラが反応する姿であるように思います。

ベッドに横になるとき、頭の向きがいつもと違ったって
いいし、座ったままだっていいし、立ったままだってい
い。

操者と被検者の位置関係も、距離感も、物理的な接触
有無も、自分勝手は許されないけれど、「からだ」にき
きわけた自由な創意工夫はあってもいい。

「からだ」にききわけるからこそ、「からだ」の治癒力
につながっているのですから。

橋本先生から三浦先生へとつながる系譜、それは原始感
覚でつながっているのかもしれませんね。