ほんとうに必要なものはどれだけあるのでしょうか。
ミニマリストという言葉を聞いて久しいですが、ミニマルに絞っていくとからだにいきつくのではないかと思います。
そのからだも絞っていくと感覚にいきつき、その感覚も絞っていくと内部感覚にいきつき、その内部感覚も絞っていくとからだが悦ぶ感覚にいきつく。そんなふうに思います。
その日にからだから届いてくるメッセージを受け取ったとき、忘れないように書き残して寝かせておいたり、誰かに話して共有したくなったり、明日はまたどんなメッセージとして届いてくるんだろうと思ってみると嬉しくなります。
このからだの中にどれだけ知らない世界が広がっているのだろうと感じられたり、知らないのはわたしが忘れていただけで、感覚をとおしてからだと再会しているのかもしれないと感じられたり、からだが悦ぶ感覚の上に悦んでいるわたしがいると感じられたりすると、どうしたってわたしの生活からからだを切り離せなくなる。
ほんとうに必要なものはもういただいているという実感をいただいている。
そのようなからだとわたしの関係もあるのです。