おはようございます。
からだの動きは、普段、意識にのぼらなくとも、私たちの生命活動を支えてくれている。
誰にでも、有難く生かされているという根底や背景があるという事であり、それを大切にしたい。
身体運動にしても、からだの動きという有難い根底の上に、自由に表現されるべきものである。
自由とは、何をやってもいいというものではない。
何をやっても自由かもしれないが、そこには報いがついてまわっていることも考慮しなくてはならない。
元々有難くできている事柄に対して、それに背反して不快になる事をやっていれば、身体も不快な状態となり、バランスを崩していく事となる。
逆に、元々有難くできている事柄に合わせるようにしていけば快適であり、身体だけでなく、あらゆる事象にも適応可能な状態となっていき、より良いバランスが膨らむかたちとなっていく。
自由という字は「自ら」と「由」からなるが、由にはわけやいわれの意味があるという。
気持ちの悪いことをやっていて、不快な状態を嘆いてもしょうがない。
自由には責任が伴うという事。
しかし、それをどうやって行っていくか、道筋をつけてくれなければ範囲が広すぎてやりようがない。
だから、操体では橋本敬三先生の時代より身体運動の法則というものがあり、その身体運動の法則を基にからだと向き合ってきました。
そして、今では従来の身体運動の法則を超え、よりからだの動きに調和できるよう操体は進化しています。
進化した操体を基に、感覚をききわけ、からだと共に身体運動を根底から良くしていく。
その上で自分の個性を発揮できる自由を獲得していく。
人それぞれ、やりたいこと、なりたいものは違うでしょうが、誰でも根底には不快は望まず、快適で満足して生きていきたいという願望がある筈。
操体は、誰もが望む根底から良くしていこうという学問ですから、すべての人にお薦めできると思います。