(昨日のつづき)
年に2回、春と秋にわたしたちは東京操体フォーラムというイベントを開催している。
以前から、その内容はマニアックな会ではあったけれど、特に最近参加していて感じるのは、そこで語られることばが変化してきているということだ。
誰かから借りてきた言葉ではなく、その人が語ることばとして何かが物語られている。
アタマで考えただけの言葉とはちょっと違う。
からだという生命体がききわけている世界が、ことばによって表されてる。
ことばによってここまで表現できるのか、と。
その内容も、もちろん身(み)がつまっているけれど、師や同志のことばでの表現力に関しての感動を参加していて随所で味わっている。
この経験、体験をしているからこそ、わたしのなかでも、ことばの可能性が開かれたのだと思う。
今は、誰かの言葉や知識を吸収したいのではないのだろう。
わたしのことばと出会いたいのだ。
そしてそれは、からだがききわけている世界、からだのことばのなかにある、と感じているのだと思う。
(もう少しつづく)