東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ひだり 其の五

昨年春、南無の会坐禅会がコロナ禍で中止になった。なかなかスケジュール調整がきかず、月二回の開催だったが、月イチのペースで通っていた。
 
以前も書いたと思うが、改めてまとめておく。
 
坐禅と言えば臨済宗と曹洞宗だが、この二派は全然違うんである。
 
まず、臨済宗は「悟りに至る手段」である。臨済宗では、師匠と弟子が一対一で、問答を行うが、問答同様坐禅も悟りに至る手段の一つだ。
一方、曹洞宗の坐禅は「悟るため」とかではなく「只管打坐」(ただひたすら座ること)である。
 
 
また、坐禅中にばしっと叩かれるシーンがあるが、あの棒「警策」というが、臨済宗では「けいさく」と言い、曹洞宗では「きょうさく」という。
私が参加していた坐禅会では、警策の出番はなかった。
 
坐禅の時、参加者は手を胸の前で組む。
これを叉手(しゃしゅ)というが、臨済宗では左手の親指を、右手で軽く握り、左手の他の四指を、右手にかぶせる
曹洞宗では左手の親指を内にして握り、手の甲を外に向けて胸に軽く当て、右手のひらで覆います。
(臨済では左手が上で、曹洞は右手が上で、左右逆になっている)
 
なお、曹洞宗は「作法」にうるさいが、坐禅の時、入り口の柱側から、左足から入る。何故左足からなのかはわからないが、左足から入る。