「からだ」そのものにインプットされた記憶は、いつでも鮮明によみがえる。
師の臨床を初めて受けた時のこと。
師は何も聞かなかった。
「からだ」にふれただけだった。
「からだ」が主語になる空間になっていた。
何も知らない「私」は、それを言い表す「ことば」を持たなくても、そのとき、ちゃんと「からだ」が主語になっていました。
「からだ」が主語になるとは、「からだ」からいただく姿勢とは、このようにしてなる、ということを、「修業」前にいただいていたのです。
個人レッスンがはじまってからも、しばらくは「渦状波Ⓡ」を受け続けました。
当時の「私」では、感じられなかったその意味を、「からだ」は記憶し、今伝えてくれる。
「からだ」が主語になるように、「からだ」からいただけるように、「うつわ」になるようにしていただいていた、と。
自分のために、他人のために、の前に、「からだ」がある、ということを感じ取っていくこと。
「からだ」が主語になったとき、周囲を巻き込みながら、臨床空間や生活空間がどんなふうになっていくのか、真摯に向き合うこと。
操体をとおしての修業はこれからだ、と感じられてくるのです。
(つづく)
2022年春季東京操体フォーラム
2022年4月29日(金)祝日
ハイブリッド開催(会場参加は、一般社団法人日本操体指導者協会会員優先)