からだからいただいて、感じられることがあります。
「息」は、入れようとしないほうが入ってくる、ということ。
以前は作法が先にあって、その作法にのっとって「息」と向き合っていました。
どこかに「息」を操ろうとしていたわたしがいたのです。
けれども、普段何も意識していないときに、すーっと「息」が入ってくるときがあります。
わたしが操らなくても、「息」は入ってくる。
わたしが操らない方が、「息」は入ってくる。
「息」がからだに入ってくる。
わたしの入る余地がない「息」を味わっていると、現れてくるからだの表現。
生命体として環境に委ねているからだがある、と感じられてくるのです。