人が生きるために命あるものを頂くのと同じように、からだの自然治癒力に必要な「快」もこの空間から頂いているように感じています。
今まで快の捉え方としては動きや呼吸の中でからだの内側から自発的に生み出しているものではないかと思っていました。
しかし最近は臨床の空間と日常生活との境界線がなくなってきたことで何か特別なことをしなくても常に快を受け取りながら生きていれている感覚があるのです。
そういった感覚と共に生きていると、快にもその受け取り方の作法というものがあるように思います。
その作法とはまずはからだの声を聞くこと、そしてそのメッセージに応えること。
そのキャッチボールは呼吸とからだの動きで行われる。
大事なのは自分の色で見ないこと、色を付けないこと。
そうすればからだはどんな状況でも応えてくれる。