解剖学者 三木成夫先生は、
「「内臓不快」-これが人間苦の究極の“引き金”だ」(「内臓とこころ」23p)
と語っておられます。
「これはものの本質をついていると思います。なにもむずかしいことをいう必要はない。
お腹がすいたと時に、ほんとうにお腹がすいた。そして、なにがどれくらい不足しているかがわかって、それにふさわしいものを食べることができたらそれでいいんですから・・・。
私ども凡俗は、仏の教によりますとけっしてこうはゆかない。空腹が「縁」となって、それこそ百八煩悩が、夏雲のように湧き上がってくるという。まったくもってどうしようもないですね。(中略)
私どもの人生というのは、いってしまえば、この煩悩、妄想との明日なき闘い、といっても言い過ぎではない。」(同23~24p)
それを適正化すること、あたりまえをあたりまえにすること、が「癒し」ではないか。