昨日に引き続き、山登りを通して不思議に感じていること。
その一つに、アウトプットのことがある。
山を登っているときは、全身をつかう。
そして、登山と下山の道中で何時間も歩き続ける。
からだの方は疲れたりするけれども、休み休みしながら何かトラブルが起きない限りは
なんとかやり通せてしまうものだ。
これが、「山」ではなくて街中で同じような活動を行おうとしたらどうだろうか。
例えば、地下鉄のホームから改札までの階段を昇っているときなどにこんなことを考えたりする。何時間も動き続けていられるだろうか。
自然の中で活動をしている時と言うのは、単なるアウトプットにはならないように思う。
無意識に何かを受け取りながら、活動を行いやすい環境が自然のなかにはある。
自然の山々のなかでは感じられやすい「循環」のイメージが、都会のビル群のなかでは感じられにくい。
感じられないのではなくて、感じられにくいだけなのだろうけれど。