少し話は変わって、
「自分」にとって「はじめて」のことを学習するときって、
「自分」にとっては「はじめて」ですよね。
でも、「からだ」側の目線でみてみたら?
これまで操体を学んできて、これからの操体を学んでいておもうこと。
操体法に限らず、何かを身につけるときは、
「からだで覚えなさい」ということをよく言われますけど、
「からだ」に学習させる
「からだ」で学習する
「からだ」が学習させてくれる
これってそれぞれに違って、それぞれに意味がある。
はじめに「からだ」が在る、と感じとっているときは、
どんな学習になっているとおもいますか?