(続き)
長い間かけて学ぶ事は、
「解決すべき問いかけを持つ」ことです。
「自分事として認識できる」ことです。
その設定方法が、「何のために学んでいるか」になります。
それはワタシにとって「操体」を学ぶ理由の一つ。
かの、レオナルドダヴィンチは何かに取り付かれたかのように、
晩年まで「水」のスケッチを続けていたといいます。
おそらく、「水」と言う究極のランダムを掌握すること。
この無限の情報量を有しているアナログを、アナログのままに
取り込み、自然環境を豊かに取りいれたのではないでしょうか。
これも自分に学ぶ意義を伝える簡便で、効果的な方法であり、
愉しみながら続けていくための理由となっている事は確かです。
(続く)