(続き)
「操体・操体法」を、自分の学ぶべき理由したこと。
「何のために学んでいるか」が無ければ、所詮は他人事です。
自然や、生命現象から情報を十分に取り込もうとするのです。
この経験を積んでいくことで、生命現象の雰囲気というか、
生命現象の気持ちを、ききわけていける能力も高まるのです。
それをせず「操体」を、本気で学ぶ気にならなかったとしても、
他人事なら、自分自身で責めても仕方が無いような気もします。
故に「何のために学ぶのか」を問いかけるのも、生き方の問題。
学ぶことが、「どのように生きてくるのか」なんですよ。
学びを通して「自身の生き方に働きかけるか」を示していくのです。
(続く)