おはようございます。
誰でも自我がある。
自我があるから人間なのだという人もいるだろう。
自我については様々な捉え方がされるが、他者や外界から区別して意識される自分という意味で捉えてみる。
そうすると、自我というのは自分が自立する為に必要なものではあるが、本来の目には見えないけれども大切なつながりというものを、なにか遮断してしまう作用があるのでは、と感じてしまう。
このつながりの遮断というのは、生命の存在や、その存在がいかにして健康でより良く生きていけるか、を学ぶ上では障壁となってしまうように思う。
自分ひとりで生きているわけではない。
自分ひとりで生きているつもりでも、それは自我の世界であり、本当は他人様はおろか、ありとあらゆるものから生命エネルギーをいただき、生かされて生きている。
ありとあらゆるものから、どう有難く生かされている生命なのか。
ありとあらゆるものから、頂いているものをどう有効活用している生命なのか。
その活用を最大限に高め、生命エネルギーの収支バランスをとっていくには何に着目するべきなのか。
何がバランス制御の原動力となっているのか。
こうした学びを続けていると、自分の我というものはいわゆる二の次にした方が良いように思えてくる。
素直な感覚が重要なのであり、有難いと素直に感じられた事というのは、自分も共感、共鳴している訳なのであり、自分の主義主張もそこに寄せていくべきなのだと思う。
天に唾して生きてはいけないのだから。