植物、特に樹を見ていると、自然体律位と重なってきます。
むしろ、自然体律位によって樹と重なるのを感じるといった方がしっくりくる。
その場にとどまる植物にとっての「その場」とはなんなのかというように、目には見えないつながりをも感じとっているとき、「その場」という環境の捉え方も、「からだ」で共振することを教えてくれます。
環境からのエネルギーのながれを、非対称性の「人」として受け取り、それが循環して巡るとき、「からだ」主体になっていく確かな感触があります。
「からだ」は、左右対称の構造(つくり)があり、それが動いている。
長いこと、それにとらわれていたような気がします。
先にそのような形があって、決められた動きがあって、それを頭の中でイメージし、再現する。
こういった学習によって発揮されるパフォーマンスと、「からだ」が主語になり、「からだ」がききわけていることを素直に受け取ることで表現されてくることの違い。
どちらをとるかといった選択的なことではなく、「からだ」そのものの理解を深めながら、自分たちを生かしてくれていることにもふれられる操体の学びの中で、その違いを感じています。