東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

大人の学習意欲は育てるのが大変?

ちょっと昔のフォーラムテーマに“タッチ”というのがありましたので、(あだち充先生とは関係ないのであしからず。)
きょうはそれを・・題材にさせて頂きまして、私も臨床のことを?


<触れる〜Touch~その美しき交わり>


どんなに機械が素晴らしい出来栄えであっても、それが大自然の創ったものを越えることはないだろう。


例えば内視鏡では、トンボの目つまり複眼を模してスコープに反映させている。
様々な角度方向から消化器系の内部を観察することができるから、微細な炎症やポリープ、様々な病理変化を見逃さぬように日々進化している技術らしいのですが・・・その元になっている、昆虫の複眼のレベルと精度はその比ではなく完璧と言える形状なそうです。


だから素早く動くハエなどを捕まえることができるのですね。
しかも、自ら飛んでいるという条件を満たした上ですから考えてみれば凄いことなのです。


私もよくハエを手で掴めるように体の使い方を工夫するのですが、難しい!
せいぜい子どもと一緒に蝉を取りに行って、網を使わないで樹にとまっている状態で捕まえる位しかできません。(それでも子供には褒められるのですが・・・)
身体の使い方を学習していくことで、いつかはハエを掴んでやります!
なぜかって?それはですネ、殺虫スプレーや蠅叩きだと殺してしまうじゃないですか。


それに、わざわざ人に寄ってたかってくるあの鬱陶しいハエが不思議なのです。
だって自ら危険を冒すようなことをどうしてわざわざするのでしょう?
きっとヤジウマ根性が旺盛なんじゃないのかな?・・ということは、僕に足りないものをもっているなんて強引な結びつけでしょうか。


橋本敬三先生も、カラスは凄いヤジウマ根性を持っているといっておりますから。
ヤジウマ根性は見習いながら、ずるいヤジウマになりなさいとお話していますネ。


カラスと言えば、あの学習能力、特に記憶力は素晴らしい!
私の患者さんから聞いたのですが、人の顔を記憶するらしいのです。


例えば、高い場所や木の上に巣を作るのですが、その下を通る人を警戒しているようです。
その巣に危険を感じる時には“人の頭”を狙ってあの大きなくちばしで突っ込んで来て威嚇します。
その危険を感じさせた人が巣の近くにまた来ると、必ず顔を覚えていて襲ってくるのだそうです。(庭木の手入れをする方はご存じでしょう?)
だから、いたずらはしないほうがいいですネ。
聞いた話では後ろから襲われてしまい、頭頂部をつつかれてしまった方がいましたが、何ともびっくりです。(血が出てくるほど痛いらしいですよ!)
命がけで残すべきものを守ろうとしている姿と考えれば見習いたいものです。


普段ゴミを漁っていて、ビニールの中から食品を見極めて狙いすまして突っついて取り出す能力でさえ、世にあふれかえる雑多な情報の中にあって本当に必要なモノを見極めて自分のものにする努力と考えればなんだか・・・カラス先生!と呼びたくなりませんか?


人のからだのなかでは、どの部分に情報を敏感に感知するセンサーが授かっているのでしょうか?
昆虫の触角みたいに、様々な情報を取り入れるだけでなく見極めるのに必要な便利な部位。


眼・鼻・口(舌含む)・耳・それぞれの感覚器は全て脳が関与しています。
すべて必要ですし、敏感にすることも鈍感にすることもできます。
その中で最も大きな感覚器とも言える、外界と内界を分けている皮膚はその姿から信じられないほどの高性能を発揮するのです。


そして話は急に変わりますが、手を見てほしいのです。
その掌(たなごころ)の先端には指がありますが、皆様!自分の指をまじまじと観察したことはありますか?


最近はわざと手術で指紋を消してしまう方もおりますが、そんなことは絶対にやらないほうが良いです。(もちろん好き好んでしているわけではありませんね。)


指の先端にある指紋、そして爪の役割の完璧さは、嗚呼どうしてこのような形状を創りたもうたのでしょうと神に感謝せずにはおれません。


まず爪がなくては力が入りません、指先に力が入り何かをしっかりと押さえたりできるのは、爪があってこそです。


指先の感覚の鋭敏さは、脳つまり大脳の中心溝の目に位置する運動野、中心溝の後ろに位置する感覚野の中に占める割合が他に比べて突出しています。
つまり指先を動かす細やかさも、指先から受け取ることが出来得る感受性も大きいのです。
その感受性たるやどんなセンサーでも敵わないのです。
人が細かな作業ができる理由は、体のどこよりも機能的であり、優秀である指先あってのものなのです。


指紋に至っては、その模様たるや超芸術的です!
同じものを作れと言っても無理でしょう。(だから最近は銀行の認証に使いますよね)
必ず、一人ひとりの形が全て異なっていますよね。(弓型・渦巻き型・混合型)
どんなタイヤのグリップパターンより繊細なその溝によって、何かをつまむ時に滑らないようにする他に、形はどうか?どのような感触なのか?硬さ柔らかさ等がすぐに分かってしまうのですから。


子供の成長段階においても、まだ乳児の頃には目が見えませんから、何でも舌に入れてから形を判断するわけですが、次に手で持って感触や硬さを照らし合わせていくからこそ、大きくなってから目で見たもののイメージが出来るのです。
つまり学習の結果によるということなんです。


学習と言えば、このような話があります。
ある耳の聞こえない老夫婦が(聾学校で知り合って結婚)、人口蝸牛(蝸牛とは、耳の中にある器官で中の液体が震えることで音を感じ取ります)を夫婦揃って手術したのです。


手術する前は、「あなたの声はどんな声なのかしら?」、「音楽も聴けるのね!」とそれは素晴らしい世界なのでしょうね!と、楽しみにしておりました。


しかし、現実に人口蝸牛スイッチを入れて外の世界の“音”を初めて聞いた夫婦は・・・、
すぐにスイッチをオフにしてしまったのです。
なぜならば、小さい頃から学習することで、人は必要な音を拾い不必要な音は小さくしたり聞こえなくしているのですが、学習されていない老夫婦は、世の中に溢れかえる音の洪水に耐えきれなかったのです。(でも自然の中では、虫の音や鳥の声、川のせせらぎ・風のそよぐ音を楽しむことができるのですから、環境次第ですね。)

同様の事として考えてみると・・・。
操体の臨床を見せて頂く機会にも、その姿をどのように捉えているのか?
シンプルなものこそ、見た目の違いが分かりにくいものなのです。
こんなの簡単そうだなァ使ってみよう!ちょっと勉強したらすぐに出来そうだぞ!等。


簡単そうに見えても、そのように見えるのは自分の学習レベルが低いのかもしれない!と。
全く以前と同じ事をしているように見えても“そう見えているだけで”まったく違う!と。


操体の臨床は派手にはなりませんから、そういった気づきがなければいけないのです。
なぜならば、“感覚を聞き分ける”それが大事なことであって、“気持ちよさのレベル”
というものが、“本当にからだの要求に叶っているのか?”
それを謙虚に受け止めて、からだに聞き分けなくてはいけないのですから。


とちょっと強引に結びつけたところで、気がつきました!
ああ〜今日は私の臨床を書かせて頂こうと思っていたんだった〜・・・。
なぜか?気づくとこんな感じになっておりました(普通はもっと早く気が付くよ!)


まあこんな感じの毎日が私の学びです。
そして良いとか悪いは無いのです。


それでも間に合っていればいいのですから。
但し、これは自己弁護に使っては勿体ないお言葉なのでは?とおもいますね。


そうだ!学ぶことを続けようと思われた方々に朗報です!


秋に東京操体フォーラムが11月2日に開催されます。
テーマは「操体臨床の世界、その診断(問いかけ)と操法」です。
もう秋の行楽シーズンにぴったりじゃないですか〜!


ああ良かった!ようやくブログらしくなりました(本当か?)
では本日はここまでとさせて頂きます。
皆様、ありがとうございました。



岡村 郁生


東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
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