東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

タントラ

 タントラの話がでたところで、タントラ密教は私の生涯の研究でもあるので、タントラについてもう少し深く話してみたい。
 人間がまだ、未開人といわれ、野蛮な原始生活を送っていた時代には、男と女の関係は、お互いに本能的な性欲のおもむくままに自由に交わることができたと想像できる。その結果、生まれたる子供たちと、親たちの関係は、父と子の関係よりも、母と子の関係の方がはっきりしていたので、一人の母から生まれた子供たちはそれぞれ違った父を持つ兄弟姉妹の父が誰であるかわからなくとも、少なくとも母親は、その子供たちを自分の子と認めることはできたはずである。
 したがって子供たちは、確かな血のつながりの認められる母に属し、母を中心とした生活が営まれた。いわば一妻多夫の制度ともいうべきもので、そこに母系を中心とする家族社会が形作られたのも当然のことであった。
 未開時代の社会にあっては、なんといっても子供を持つ喜びは、その部落はもちろん、その種族にとっても、直接的な繁栄を意味していたから、出産は大いに喜ばれ祝福された。こういった意味からも母系中心の社会と、いわゆる「母権」との間には、思想的にも密接な関係が認められるばかりでなく、そこに母性を神と崇める「母神崇拝」の思想が生まれたのも当然のことである。
そしてこの母神崇拝は、妊娠の原因が男女の交接作用からきていることをはっきりと知られるまでは、圧倒的な勢力を持っていた。特に、女性の生殖器そのものに人々は神秘的な神性を認めるようになり、そこからさらに、女陰を崇拝する思想が生まれてきた。しかし、人間は長い世代にわたって生活経験を積み、知恵が進むにつれて、ついに女性が妊娠するためには男性の生殖器もまた、なくてはならないものと悟ったのである。この新しい発見によって、それまでにひじょうな勢力を持っていた母神崇拝や女陰崇拝は、反動的に男根崇拝にその王座を奪われるようになった。
ところがこの男根崇拝は長くは続かなかった。というのも、人はエネルギーを保存し、満ち足りた状態を感じ、充実感を覚え、そして肉感性の奔流が起こり、エネルギーはやがて一つの円にならなければならない。ところが男根は多量のエネルギーを漏出しなくてはならない。エネルギーが流れ出るには何か尖ったものが必要である。それゆえ男性性器は尖ったものなのである。ほとんどひとつのはけ口である。
エネルギーが男性の内部に過剰になってどうすることもできなくなると、それを性的に放出する。性行為の中では、女性は決してどんなエネルギーも放出しない。だから女性は一夜のうちに多くの人々と愛を交わせる。が、男性には無理である。女性はもし、やり方さえ知っていればエネルギーを保存することさえできる。エネルギーを得ることさえできる。ゆえに女性性器は丸い形で表象されるのだ。
 そしてエネルギーというのは、頭から外へと放出されることはない。頭は生来丸い形に創られている。だから頭脳はどんなエネルギーも決して失わない。それはエネルギーを保存する。というのも、それは最も重要なからだの中枢機能だからである。それは保護されなくてはならない。だから丸い頭蓋によって保護されている。
 エネルギーは丸いものから漏出することはありえない。だからこそあらゆる惑星、太陽、月、星は、すべて丸い形をしているのである。そうでないとしたら、エネルギーを漏出し、消滅してしまう。
 やがて、女陰崇拝と男根崇拝は、このエネルギーの流れと保存という一体性のもとに性神的な性格にまで昇化され、タントラ密教の秘儀が出来上がっていったのである。
 日本では、俗に「歓喜天」または、「聖天様」と呼ばれている「大聖歓喜自在天」が平成の今日までなお、相当の民間信仰を得ているが、この天部(神格をもったもの)と呼ばれている神の経歴や素性といったものを説明してみたいと思う。
この歓喜天というものの源流は、インドのバラモン教のなかの一神格であった「ガネーシャ神」にその端を発している。バラモン教や後のヒンズー教の三大神といわれるのはブラフマン神、シヴァ神、ビシュヌ神だが、このうち、ブラフマンは万物を支配し、創造する威力をもち、シヴァは破壊力、ビシュヌは物を維持する。この三大神のなかのシヴァ神とその妻のパールバーティー女神とのあいだに生れたのが、ガネーシャとスカンダーの二神であった。そして、シヴァ神の信仰は、インドで一番古い聖典といわれているリグヴェーダー以前に、菩提樹の崇拝や生殖器の崇拝とともに存在していた。シヴァ神は、破壊の神だが、インドの数論哲学においては、物の絶対的消滅という思想は存在しないという考えから、破壊というのは、つまり建設を意味していることになり、したがってシヴァ神は、再生力を持っている神として、リンガ(男根)をもって、その表象とされることになった。
 そしてさらに、リンガにヨーニ(女陰)を添えて祀ることも行われるようになった。現在、インドでは毎年十月末、若しくは十一月初めの新月の夜には、カーリー祭りというものが盛大に行われている。このカーリー祭では、シヴァ神の妻であるパールバーティーの化身である黒色の女神カーリーを祀り、たくさんの山羊がお供物として犠牲になる。そして、この夜はいろいろな性的な行為が繰り広げられるのである。
 これに類したお祭りは、あえてインドばかりとは限らない。日本の各地でも散見される習俗だったのである。
明日につづく