東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体庵ゆかいや物語(23)

        お見通し

               佐伯惟弘


東京へ越して来て一ヶ月以上経ち、やっと生活のパターンが出来、落ち着きを取り戻しはじめました。


それにしても、この半年間、かなりの綱渡り人生を歩んだように思います。

突然、鍼灸学校に行くことを決め、合格するや否や、世田谷に安アパートを見つけ、美山の我が家を貸し家としました。

そこまでは、順調でしたが、なかなか借り手が見つかりません。そんなある日、友人からメールが届き、美山で家を探している人がいるとの情報を得ました。


早速、我が家に来て戴くことに。

2月中旬、一番雪の多い頃のことです。今年は積雪50cm。

美山での生活は、冬以外、非常に快適。

そのため、もっとも暮らし難い時期を見て戴くというのは、親切な紹介方法だと思います。


薪ストーブで部屋を暖めていると、2人の女性が尋ねて来られました。


一人は、美山在住の方で、一度、我が家に来られたことがあります。もう一人の女性が借りて戴く方。


精神性の高い方は、一度見た瞬間で分かるときがあります。その方はまさにそういう人物。

ニコニコと笑顔を絶やさないのですが、瞳の奥で、

ものごとをしっかりと見据えておられました。


私は、お会いした早々、「この方に住んで戴こう!」決め込み、話を勧めました。その女性を仮にKさんとしましょう。

そのKさん、たまたま台所に置いてあった「明日なき森」(新評論)という本に目をやり、「この本は一家に一冊必要な本!」とこともなげに語るのです。


よくよく考えてみると、この本の著者・後藤伸氏は、熊野の森を生涯の研究フィールドとした方。

Kさんはその熊野から来られたのだから、何も不思議ではありません。しかし、何かシンクロナイズするものを感じました。

そして、家を去る前に、

「実は、わたし修験者なんですよ、ホラ貝を吹けそうやね。ここで。」


私は、滝のある方向を指さし、

「去年から出来た道を歩いたら、30分程で滝までいけますよ。」

と滝までの山道を案内しました。

この山道は、地元の人にとって、日常生活には、あまり縁のない道。

しかし、Kさんにとっては、大切な道になるかもしれません。となると、この山道は、Kさんを招くための道?

―青龍の滝―

さて、Kさんの3年間定住の地が、我が家に決まり、大学生の息子さんと再び来られました。


「佐伯さん、これ何やと思う?」


手には、角切り肉ほどの大きさの石。

触れた感触は、重くてほんのり温かい。

全く見当がつきません。

「これね、隕石。私がお仕えしていた宮司さんから戴いたの。」


と、ニコニコしながら説明して戴きました。

そして、「古神道入門 神ながらの伝統」(評言社) 小林美元著という本を手渡してくれました。


「私は、この先生のアッシーをしてたのよ。」


とニコニコ顔。

本をめくりながら、驚きました。私の最も興味のある縄文時代の思想・古神道が分かりやすく書かれているのです。

操体の創始者・橋本敬三先生は、カタカムナ文字を研究されましたが、それはまさしく縄文時代の思想なのです。

操体を学ぶ上で、根幹になるものだと思います。

それにしても、このKさん、私のこころをお見通しのようです。


そして、4月を迎え私は東京生活。Kさんは美山での生活が始まりました。

生活してみると、美山に置き忘れてきた物、服等が分かってきます。

そこで、月2回の京都、操体施術の際に、美山へ立ち寄ることにしました。


久しぶりの我が家。

Kさんのセンスで我が家が生き生きしています。

私が家の中に入るや否や、


「佐伯さん、あなた、何か本当にやりたいことを、してないのと違う?何か、自信をなくしたのか・・何かあって・・・。」


どきっとする発言です。

私がやりたいのは、操体です。しかし、20年以上やってきた木を積み上げる芸術活動と操体を結びつけたい気持ちはあります。また、それが形となって現れる予感もしています。

時期が来たら表現してみたい、と思っていた矢先のKさん発言。


一瞬、凍り付くような感覚に襲われました。

やはり、何かをお見通しのようなのです。


そして、帰り際に

「佐伯さん、アートをせんといかんよ。」

こころに響きわたる言葉でした。


そのKさんから戴いた本“古神道入門”。これは、日本人なら、読んで頂きたい本です。


その本の一部を適当に見つけ、載せてみましょう。それだけで、本の全容が伝わってくると思います。


「たとえば、古神道では、天地と書いてアメツチといいますけれども、アというのは生命の発生の源で、これをアといいます。

メは、目を開けたとか、木の芽がでてきたとか、芽吹いたとか、生命の発生する様をメといいます。宇宙間から生命が芽生えてくる。そういうことを表現しているのです。

ツは、円(つぶ)らな瞳のツで、丸いという意味。チというのは、モノを養育する力があるもの、たとえば体のなかを流れている血液、これは人間を養い育てていく力がある、それで血と名付けられていますが、大地の地もそうです。

地にダイコンやナス、キュウリを植えるとそこに芽が出て大きく実を結ぶ。

生命を養い育てる地球の「地」を重ね合わせるとチチとなります。赤ちゃんを育てる一番大事な母親のお乳。また、父親のことをチチといいますが、家族を養い育てる力がある人という意味でチチと称するわけです。


するとツチというのは、丸い地球ということになります。

地球という言葉は昔からありませんでしたが、日本ではツチということで地球が丸いということがわかっていました。

その地球自体は神様のお宮で、そこに柱が立っている。カイラスチベット/標高6656mの未踏峰。信仰の山であるため、登頂許可は下りない)だとか、富士山、筑波山三輪山だとか、各地の国に屹立している山、これを天と地を結ぶ柱、地球の神殿だという信仰が芽生えます。

そうしたお山に対する畏敬の念から、古代の人々は天上の神々が地上に降りてこられる柱としてとらえています。」


先日の東京操体フォーラム

“発声”がテーマで、三浦先生が秋穂理事にドから始まる、音階を一音ずつゆっくり発声するように指示をされました。

その発声にからだを委ねると、咽頭からの波動や呼気にともない無意識の連動が生じ、快のききわけができます。からだによくききわけ、味わってみたい要求感覚であれば味わう。

これが、発声を通した全身形態の連動を伴なう操法となります。


秋穂理事の美しい発声と連動は、“音階が奏でるからだのアート”。

そして、三浦先生の各音階における重心の位置の奥義は、圧巻でした。


と、突然ここで東京操体フォーラムの話になったのには、訳があります。“古神道入門”のなにげなく拾ったページにあった「アというのは生命の発生の源」。


この言葉から、生まれたばかりの赤ちゃんが、思いっきり舌をだした映像。そして、対照的に、私の祖父が息を引き取るときの、「・・・ん」と縮んでいく舌を思い浮かべました。


神社の狛犬、寺の仁王門。例の宇宙の始まりと終わりを表す言葉「あうん」です。

「あ」から「ん」までが壮大な宇宙の歴史なら、それを操る口、その中でも舌の果たす役割は重要。

たとえば、「あ」の発声と舌、からだの連動、「あ」の日本語の根源的意味などから、古代縄文人の思想が見えてきたら・・・・ほとんど、妄想ですが・・・ちょっとワクワク。

とにかく、数年前に“舌の操体”という文章をVisonSという東京操体フォーラム小冊子に寄稿したにもかかわらず、その後足踏み状態。


もしかしたら、Kさん。


「佐伯さん、“舌の操体” をせんといかんよ。」


と言いに来てくれたのかもしれません。

ね、岡村さん!

一週間のお付き合い誠にありがとうございました。

ブログ管理人の辻さん、夜中に起こしてしまい、申し訳ありませんでした。畠山さん、素晴らしいiBookをありがとうございました。

お陰様で、無事1週間終了!


来週からは、縄文にも特別な思いを寄せておられる、操体フォーラム相談役・平直行さんの登場です。お楽しみに!!