石文
佐伯惟弘
「おとうさん、自転車。」
汚れたランニングシャツと、お気に入りの茶色の半パン姿のトムが、ぽつりとつぶやいた。
坊主頭のトムは、まだ5才。
境内前の階段に座り、口をへの字につきだして、じっと私を見ている。
「おっお〜、トム君・・・・ごめん。」
いつもは、トムと呼びつけているのに、こちらの非を認めた時は、つい“トム君”と呼んでしまう私であった。
夕方6時15分までに、父親(トムのおじいちゃん)の実家にトムを自転車で乗せて行かなければならない。
しかし、私は、そのことをすっかり忘れていたのだった。
「今、6時5分。まだ間に合う!」
トムはむくれた口をさらに突きだし、寂しそうにこちらを見つめている。
「・・・・あっあ・・・トムの目が・・・・いや・・これは・・・」
久しぶりに夢を見た。
時計を見ると、真夜中の3時15分。
夢の中では、亡くなった父親も、5才の長男トムも、まったく違和感なく存在していた。
「なぜ・・・こんな夢を・・・あっ〜、そうか。」
この夢を見る2日前に話は遡る。
“東京医療専門学校入学式”という看板が、有楽町マリオン11Fの朝日ホール入り口に・・・
4月1日、水曜日は私・佐伯惟弘(54才)の記念すべき入学式の日。
小学校、中学校、高等学校、大学と入学式のことは、一切覚えていません。
しかし、この専門学校(鍼灸科)の入学式は一生忘れられないものとなったのです。
有楽町マリオンの2Fで“おくりびと”の上映があり、それを学割(入場料1300円)で見ることが出来ると、喜んだにもかかわらず、4月1日は“映画の日”ということで、入場料が1000円。
ちょっと得して、随分得した感がありました。もう、それだけで忘れられない日。
また、“おくりびと”の英訳版タイトルが、Departure(出発)という入学式にぴったりというシンクロ。
しかし、それ以上に“おくりびと”のテーマそのものが、私の過去と未来を映しだすものとなり、忘れられない入学式に・・・・
映画のあらすじは、楽団の解散でチェロ演奏の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つけ、面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用される。
業務内容は、遺体を棺に納める仕事。当初は戸惑っていた大悟だったが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしていく・・・・といった展開。
死という全ての人が迎える尊い儀式を、日本人独特の繊細な思いやりとそれを昇華していく無駄のない形式美はこの映画の一つのテーマです。
しかし、それ以上に私は、山形地方に伝わる“石文”にこころを奪われました。
ある意味、大悟の父が死んでも離さず持っていた“白い石”がこの映画の主人公だと言えます。
山形県では、日本最大の土偶「縄文のヴィーナス」が出土しています。このヴィーナスの生命力あふれるフォルムは現代アート、時代を超越しています。
縄文時代は三内丸山遺跡に代表されるように、東北地方が日本の中心でした。
そのなかで、石の果たした役割は非常に大きく、
木工品を作り出すための大工道具としての石は、現代の鉄の役割を果たしました。
縄文時代は、鉄器を必要としない高度な石文化が成立し、現在の生活道具の原型がこの時代に作られていたといっても過言ではありません。
そんな中でも黒曜石の存在は大きく、高度で繊細な木工品を生み出していったと考えられます。また、翡翠(ひすい)は装飾品として、祭りの主役となり、ストーンサークルは宗教的な儀式に関わるものと考えられます。
また、東北地方以外にも、巨石を積み上げた磐座(いわくら)が天と地をつなげる場として日本各地に設けられました。この巨石文化の建設方法はいまだに謎です。
このような石との深い関係を持った日本人のDNAが“石文”として山形地方に残っているのでしょう。
映画のなかでは、主人公・大悟が幼い頃、父親と川原に行き、自分の思いを石に託して父親に渡し、父親も大悟に石を。
その後、父親は愛人と共に家を飛び出し、30年間音信不通。
そのため大悟は、父親の顔すら覚えていません。
そんなある日、大悟は幼い頃から使っていたチェロのケースを開くと、父親から貰ったおにぎり大の“石文”が出てきます。
大悟は、父親の思いをしっかりチェロの中にしまい込んでいたのです。
妻・美香との会話中、父親の悪口をいいながらも、その“石文”を触り続けている大悟でした。
突然、父の死を伝える電報が届きます。
自分を見捨てた父親に会いたくもない大悟。周りの人々の説得を無視して、父親と会おうしない大悟でしたが、何かに諭され、導かれるように父親の元へ向かいます。妻の美香も同行。
父親の枕元には、段ボール箱1個の所持品のみ。
そこで納棺師として、父親を旅立ちへの見繕いを始めます。
固く握りしめられた父親の右手からは、30年前に大悟が手渡した“石文”がポロリと出てきます。
それを手にした大悟は、涙ながらに父親の顔をさすり、無精髭を丁寧にそり落とすと、忘れたはずの父親の顔が甦ってくるのです。
30年間のわだかまりが無くなった瞬間でした。
大悟は、父親に握られていた“石文”を身重の美香のお腹へ持っていき、映画はエンデイングを迎えます。
この“石文”こそ、昨日のブログで紹介した“かたち霊”。文字あるいは言葉以外での霊の表れです。
古代縄文人からの感性が見事に今の世にも生きており、一組の父子の30年に渡るブランク、わだかまりをも拭い去る・・・・このシーンでは、止めどもなく川面の流れのような涙が溢れてきました。
期待と確信の狭間のなかで、固く握られた父親の指を一本一本、ほどいていく大悟の姿。
段ボール箱一個に人生を集約していきた父親。
子どもに対して、懺悔し、しかも愛情を持ち続けた人生。
穏やかで崇高な顔となっていく父親。
ころげおちた白い“石文”。
そして、「おとうさん、自転車。」という我が子が現れるの夢の演出。
“石文”
“おくりびと”の脚本家・小山薫堂氏は、幼い娘さんから貰った“石文”を大切に金庫にしまっているそうです。
そして、葬儀の時にその“石文”を納棺すると決めておられるそうです。まさに、この“おくりびと”は、娘に送る遠大な遺書ということになります。
また、このテーマ曲を作った久石譲氏は、宮崎駿作品の作曲家としても知られていますが、“石文”のシーンでは、常にこの曲が流れています。
“久しい石を譲る”とご自身の名前と重ね合わせていたのでしょうか?
私は、残念ながら“石文”や遺書は子ども達には残していません。
しかし、必ずや素晴らしい“石文”を子ども達と共に見つけだすつもりです。
それを今から、楽しみにしています。
では ごきげんよう!