猫好きにはたまらないイスタンブールだった。
帰国してからちょっと年上の女性と話をする機会があった。今年(2010年)はスペインとトルコに行きました、という話になり、ああ、いいわね、トルコ行ってみたいわ、と彼女は言った。その後「猫、好きですか?」と聞いてみると
「猫?嫌いなのよ〜」
という返事が返ってきた。う〜ん。あんなに猫がわらわらいるところに猫嫌いが行って大丈夫なんだろうか、と少し心配になった。まあ、私達が泊まっていたのは部屋が16個くらいのプチホテルだったので、猫がロビーにいたり、カフェに猫がいたりしたのだが、チェーン系や、大きなホテルだったら猫は入ってこないだろう(入ってきてもいいけど)。また、もしかしたら私は「猫アンテナ」を張りながら活動していたので、視界に猫の姿が入ると瞬時にキャッチすることができるので、猫がわらわらいたように思ったのかもしれない。
ちなみに、猫嫌いの人数名に何故猫が嫌いなのか聞いてみたことがある。
・目が光るから
・柔らかいから
・寄ってくるから
・発情期にうるさいからなどの答えが返ってきた。
目が光るのはべつに普通だし、柔らかいのは猫だから当たり前である。その次の「寄ってくるから」というのは嫌いな人特有の答えかもしれない。猫は猫嫌いの人を巧妙に見分け、嫌いな人に寄っていくのである。
おそるべし原始感覚
何故かというと、私のような猫好きに寄っていくと、無理矢理抱っこされるとか、かまわれるとか、猫にとっては「ほっといて」ということを執拗に繰り返すからだ。また、猫好きはひっかかれるのも噛まれるのも全然平気なので、ひっかいてもひっかいても羽交い締めにされたり、「たかいたかい」されたりするので、敢えて嫌いな人に寄っていく、という説もある。実際、猫好きは『猫好きオーラ』を放っているので、猫も「お、こいつにつかまると大変だ」と身構えるのである。
経験者ならわかると思うが、単に「猫好き」と「猫と暮らしている」のとでは全く違う。用事雑事が100倍に増えるのはまず間違いない。
一緒に暮らしていると、様々な人間の「使役」が生じ、人間は「僕」(しもべ)となる。
愛猫家(あいびょうか)は、「エサ」とは言わない。真面目に「まんま」とか「ごはん」と言うのである。また、「飼う」とも言わず、「同居している」とか「ご奉仕させていただいている」ニュアンスである。
◆僕(しもべ)の仕事◆
・日々のごはんのお世話
・トイレのお世話
・絨毯の上などにゲロを吐いたらゲロの始末
・猫草を食べて吐いたらゲロの始末
・春には大量の毛が抜け替わる(もう一匹猫が作れるんじゃないかと思う位抜ける)
・ノミの駆除
・薬を飲ませている場合、投薬
・遊ぶ、なでるなどのスキンシップとご機嫌取り
こうしてみると、ごはんの世話以外は殆どトイレとかゲロ始末とかが占めているが、このお世話もお猫様と過ごす醍醐味である(健康管理)。また、掃除したばかりのトイレですぐ用を足すのも可愛いものだ(汗)。
家猫のお猫様は突然運動会をすることがある。いきなり高いところに駆け上ったり、部屋中を駆け回ったりするのだ。ナゾの行為であるが、なぜそうするか、ということがある本に書いてあった。昔、猫の先祖が森とか砂漠とか草原で暮らしていた時、一番生命が危険なのは繁殖行為と排泄行為だったそうだ。これはどの野生動物でも同じである。特に排泄行為は日常的行為のため、それだけエネルギーを使う。1日に数回は生命の危険にさらされるような生活だったのである。ところが現在は安全なところで暮らしているので、排泄行為の時に余りエネルギーを使わない。どうもそのエネルギーを発散させるために走るのだそうだ。観察するとわかるが、確かに「大」の後などに運動会をするようだ。たまに、猫トイレで、やけに神妙な顔をして座っているお猫様の顔を見ると可笑しくなってしまう。本当に神妙な顔をしているのである。
神妙というか何だか「一生懸命」な顔なのだ。私はこの顔を見るだけでもトイレ掃除する甲斐があると思っている。
ちなみに、岡村王子@実行委員長は昨年末、フランス系のお嬢様を家族に迎えたらしいが、トイレをすぐ覚えたので、びっくりしたらしい。確かに犬にトイレを教えるのは大変だ。猫にトイレを教えるのは犬に教えるよりも100倍位簡単かもしれない。王子はお猫様の余りの可愛さにメロメロというウワサである。
ここで「ふっふっふ。また一人猫仲間が増えた」とほくそ笑むのは福田画伯と私であった(笑)。
畠山裕美
2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/
2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。