誰でも訪れる反抗期。
中には「そういえば私、反抗期なかったかも」と
おっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが
私は通過儀礼のような反抗期をしっかり(?)経験
してまいりました。
私の場合は非行や手を挙げる方にはいかなかったのですが
とにかく親とコミュニケーションを取らなかったのです。
(しかも波があってコロッと態度が変わるんです)
要はあまり干渉されたくなかったんだと思います。
何をするにも親の助けが必要な時期に、その親とろくに
コミュニケーションを取らないのですから、
親からすると「何考えてるのか」といったところだったでしょう。
いくら親子でも全て以心伝心というわけにはいかないですから。
干渉と言えばアドラー心理学にもそのことについて
触れています。
それは「自分の課題」と「他者の課題」を区別すること。
自分が発したこと(自分の課題)に対して
相手が思う(他者の課題)ことは別々の課題であるから
相手に求めすぎるのは課題をごっちゃにしていることに
つながります。
「人は人、自分は自分」というとなんだかクールな感じも
致しますが、相手を突き放すといった意味ではありません。
必要以上に相手に(ああだこうだ)干渉はしないけれど
助けを求められれば、その時、「自分の課題」として応じることが
出来れば決して個人プレーと言うわけではないと思います。
むしろこれだって一つの愛だと感じます。
三浦先生にもよく
「からだは干渉されたくないんだから、あまりオレがオレがで
臨床通すなよ」とおっしゃっていただいておりますが、
「からだ」が何を要求しているのかちゃんと分かって、
謙虚にしていれば、必要以上にお世話しなくても「からだ」のほうで
「自分の課題」をクリアしてくれるのです。
「でも、治療って第三者(医師や治療家)がやるもんでしょ?」
そんな声が聞こえてきそうですが、
そこが操体臨床の特徴でもあるのです。
「きもちよさを味わいたい」というのが「からだの要求」で、
その要求を満たせば「からだ」は癒えるのですから、この過程を
治療と捉えることができます。
そうすると、きもちよさを味わっているのは果たして誰?ということ
になり、答えは「からだ」ということになります。
つまり「からだ」が「自分の課題」として自らを癒しているのです。
「じゃあ、操体では治療者は何をやっているの?」
そんな声も聞こえてきそうですが
そのとっておきの内容が今回の春季操体フォーラム(4月29日)で
明かされます。操体の臨床的効果を検証してまいります。
是非、お愉しみに。
「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980