相手が何を欲しているのか、
確認しなくても察することが出来たら
言うことありません。
以心伝心とか阿吽の呼吸とか。
大概は言葉を用いてお互いにコミュニケーションを図ります。
言葉にすればお互いに何を考え、何を望んでいるかが分かります。
反対に察しているとばかりに、良かれと思ってしたことが
実は見当違いで後々困るケースがあります。
言葉の力というと「言霊」とか「波動」といった
スピリチュアルな方向性もありますが、
重要なコミュニケーションツールであることに違いはありません。
確認作業は問いかけです。
察していると思い込んで、確認作業を怠ることは
無視していることとなんら変わりはありません。
それは「からだ」にとっても同じこと。
「『からだの声』を聴かずに良かれと思ってやっていることは
本当にからだが望んでいることですか?」
「……」
以前であれば即答は出来ません。
そもそもそこまで考えて臨床を通していませんでした。
治療者の技量があれば症状、疾患が改善すると思っていました。
「『からだの声』なんて…ましてや自分が良かれと思って
やっていることが回復とは逆の方向に向っている…?」
操体を学んでから気づいたのです。
臨床には「からだ」とのコミュニケーション、
つまり「からだにききわけて」が必要であると。
「察する前に確認が必要なんだ」ということを。
確認作業を繰り返し、「察する」ということが皮膚を通して
「からだ」で感じることが出来てくれば、あるいは確認作業は
行わなくても良いかもしれません。
しかし、怖いのは「察しているつもり」です。
せっかく「想い」があっても、向こうに通じていなければ
相手は返答しようがないばかりか逆効果になってしまいます。
それはもはや愛とは呼べない…
「自己満足の愛」に陥らないように気をつけねば。
「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980