こんにちは。畠山裕美です。
今週一週間宜しくお願い致します。
今日は操体のバックグラウンドについてお話したいと思います。フォーラムに参加する時の参考・操体の現在を理解する時のヒントになれば幸いです。
まず『操体』と『操体法』の違いです。
橋本敬三先生も違いをはっきりさせておられたと聞いていますが、『操体法』というのは、いわゆる臨床(問診、視診、触診、動診、操法の一連)を指します。一方、『操体』というのは、「息食動想+環境」で説かれている、同時相関相補連動性をはじめとする、橋本哲学までも含めた、治療室での臨床だけにとどまらないものを指します。
東京操体フォーラムの位置づけとして、まとめてみると(三浦理事長談)このようになります。
『目的に適うにはどうすればいいのか。それを学ぶ場が東京操体フォーラムである。橋本敬三医師は、『太極の意志』という言葉を用いて操体を説明された。言い替えれば、生命の意志に適(かな)う、如何にしたら生命の意志に適うのかということを操体の中で学んでいるのである。
つまり、からだの要求に適うとは、それを快適感覚、快を通して学んでいるのである。
もっと分かりやすく言えば、からだが喜ぶように、からだにどう問いかけるのか、それが操体の臨床である。からだの要求に適う、どうすればからだと心が喜ぶか、それがいわゆる操体であり、操体法という学びの場である。それが東京操体フォーラムの位置づけである』
『操体』『操体法』を考えてみると、なかなか不思議な世界なのです。どう不思議なのかと言うと、創始者は医師であり、「温古堂」という診療所を構え、臨床をされており、更には『どこに行ってもダメ、占いやお祓いに行ってもダメ』という患者が日本中から訪れていました。橋本先生が『ここ(温古堂)は病気の墓場だ』と言われていたにも関わらず、今は『操体』『操体法』その内容が健康体操、養生法としての部分のみが有名になってしまっているという事実です。(橋本敬三医師も、健康体操化に一役買ってしまったというところもあるのですが)
人口としては、健康体操・養生法として愛好している方のほうが多く、私の知っている限り、操体臨床の専門家は本当に少ないのが事実です。
私が10年ほど前、ある操体法の勉強会に参加した時の話です。私はてっきりプロが集まって、色々研鑽するところだと思って行ったのですが、そこは愛好会であり、一般の参加者が集まって2人
一組で組んで練習していました。その時『操体が専門です』(当時、第1作の執筆中でした)と言ったところ『操体の専門家なんですか?』と、驚きの声が上がりました。これはどういう意味かと言うと『健康体操にプロがいるの?』っていうような感じでした。人口的には同好会とかサークルの方が多いので、おそらく治療費・施術料を払って専門でやっているというのは想像出来なかったのではと思います。(橋本敬三先生は医師というプロだったのですがね。プロフェッショナルの医師が、医業の間に片手間に創案した健康体操ではなく、本来は医師が実際に治療の場で実践していたものだということなのです)
そして、治療所である温古堂に、日本中から色々な方が勉強に訪れていたそうです。
★橋本敬三先生は、各地で講演には出られていたそうですが、定例講習などはされていませんでした。そのような方々の中には、医師もいれば、一般の方、スポーツ関係、教育指導者など、様々な方がおられ、見学して勉強したことを持ち帰り、それがその地において『○○操体の会』のようになっていきました。
操体が『健康体操』『養生法』としてのみ、認識されている方が多いという事実は実に残念なことです。健康法・養生法としての活かし方も、十分とは言えません。
また、橋本敬三医師は何冊か本を書かれていますが、それは皆何かの連載を纏めたりしたものであり、戦前から昭和50年代くらいまでのものです。実は、その後、85歳になられた橋本敬三先生は、親しい弟子達に『楽ときもちよさは違う』『動きより感覚の勉強をしなさい』『(感覚のききわけを妨げるから)呼吸は自然呼吸でいい』などの言葉を残されています。これらは、出版されている本に書かれている内容とは若干ちがっています。
現在出版されている本の殆どは、『きもちのよさでよくなる』と、橋本先生が確信された時代よりも先に書かれているものなのです(1986年以降)。
例えば『万病を治せる妙療法』という本があります。これには『操法は3回から5回』と、書かれていますが、晩年の橋本先生は『快適感覚に委ねる』というスタンスをとっておられたので、『アレは間違ってる』と、言われていたそうです。
しかし、売っている本(それも一番入手しやすい本)が未だに売れているため、操体に興味を持った方は『快適感覚にゆだねる』以前に書かれた橋本先生の本を『真面目』に読むのです。この時代は『痛いほうから痛くない方に』という『楽な動き』の時代なのですが、今現在、つまり東京操体フォーラム理事長である
三浦寛先生や、顧問の今昭宏先生が掲げている『きもちよさ』という言葉が操体界自体のトレンドになっている故、
・読んでいる本は古い内容で(農文協の健康叢書シリーズなど、楽な方に動かして、瞬間急速脱力メイン)
・耳から入ってくる言葉は結構新しい(『きもちよさ』がメイン)
ということになり、『楽(なうごき)』と『きもちよさ』を混同することになっており、これが今現在の操体の一番の問題だと考えています。
この混同にどのようなデメリットがあるかというと
・臨床に結果がでない
・なので、何か他の治療法を取り入れている
ということになります。操体の「考え」、例えば『息食動想』の考えを臨床に取り入れるのはいいと思うのですが、『楽』と『きもちよさ』の区別がつかないまま、テクニックだけを覚えようとすると、絶対ドツボにはまります。
(私はドツボにはまった人を何人も見ているので、このように書かせて頂いています)
ドツボにはまると、臨床の結果がでないのを操体のせいにして、『操体は効かないから、何か他の療法を取り入れよう』となるわけです。それはちょっと勿体なくもあります。どうせかじるのだったら、食い散らかすのではなく、ちゃんと食べて欲しいのです。
★ドツボにはまらない為にも、興味のある方はフォーラムにどうぞ!
操体は体系化されてはいるが、完成されたものではない、と橋本先生も言われています。その後に続いて、自然法則の応用貢献に熱意を傾けているのが、我々東京操体フォーラムの面々です。
★自分1人できるから、「自力自療」なのではない。
また、操体にはおおきくわけて3つの場があるということをご紹介しておきます。
1.橋本敬三先生がされていたように操者と患者のごとく、相対して行う場合。
2.スポーツクラブ、カルチャーセンターなどで、指導者が言葉の誘導のみで多人数を指導する場合
3.自宅などでからだの手入れを自分自身で行う場合
大きくわけるとこの3つになりますが、これらを全て自力自療といいます。自力自療とは、『本人にしかわからない感覚をききわけ(それがからだの要求に適ったきもちよさならば)味わう』ことです。1も2も3も全て自力自療なのです。なので、「1人でやるから1人操体」「2人でやるから2人操体」「3人でやるから3人操体」←しつこい?ではないのです。
ちなみに、「自力自動」という言葉があります。これは、自分で自宅などで自分のからだの手入れをすることを指します。3がそれにあたります。
また、この話をすると、操体は『自力自療』というのに、何故施術者がいるのか?という質問を受けることがあります。
それは、自力自療が自分では叶えられない方、あるいは自力自動では間に合わない方の為に、プロが存在するのです。
そのような方の自力自療を促すような指導・サポートを担うエキスパートが必要なのです。
『何で操体に興味を持ったの?』と聞くと、『自分でできるから』という答えをよく聞きます。勿論自分でできるのですが、単に動いただけでは体操やエクササイズです。『自力自療』の言葉にあらわされる通り、本人にしかわからない感覚をききわけ、からだの要求に適う快適感覚を味わうことをしなければ、単なる体操に過ぎません。
長くなりましたが、今日はこの辺で
畠山裕美
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