東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

可能性6・・・可能性と確率。

おはようございます。

最近、量子力学に関する本を手に取って読むと、確率ではなく可能性という表現が多くなったように感じます。私の読む本が、「誰にでもわかる」とか「はじめての」という言葉がついた初歩的なものばかりだから、かもしれませんが何となくそんな感じを受けます。

可能性と確率。語源的には、どちらも英単語のpossibilityからきているようで、似たような意味合いとも捉えられますが、そうではないと思えるのです。

例えば、NHKの朝ドラで、主人公の母親の晴さんが、「5年生存率は50%です」と直接本人に宣告され、隣に座っていた旦那が「そんな事をあっさり本人の前で言うな」と激怒していたシーンがありました。
この場合は確率ですね。データに基ずき、本人のことはおかまいなしに、その時点での確率を客観的に伝える。それを聞いた本人の、先の事など、あまり考慮していない。
本人や本人のからだの可能性を意識した場合、相手への接し方も違ってくると思うんですけどね。

思うに、似たような意味合いでも、可能性の方は、相手の立場に立ってとか、自分の考えを押しつけない、決めつけない、という色合いが濃いと思います。
操体臨床医学ですが、未病医学でもあります。未病医学とは、このままでは将来、病気になってしまう、という可能性を早期に摘む事にあります。
その鍵を握るのが、からだの立場も理解し、からだにききわけるという事。

症状、疾患現象の元には、からだの不調和、アンバランスが必ずある。そして、症状、疾患の回復する過程には、バランス調整の過程が伴う。
どうバランスをとるかが重要だが、それはからだにききわけてみるのが一番確実。その感覚でバランスは調整されるのだから。

治すのは、あくまで、からだ。からだにききわけた感覚で、バランスがとれてくれば、今生じている病からの回復にも、生じるであろう病の可能性を摘む事にも、つながる。
健康回復、維持、増進。そしてそこから新たに何か善い事が生じる可能性。調和尽十方。可能性は無限にひろがる。

 

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