おはようございます。
炬燵が心地よく感じる季節な為か、このごろ運動不足になったという声をよく聞くようになりました。
運動というのは、一般的に健康の為、身体を鍛える為、楽しみの為などといった目的で身体を動かすことを指すようです。
しかし、その目的意識はほとんどの場合、自主的なその運動を支えてくれている、からだに向く事はないと思います。
ラジオ体操をするにしても、手を伸ばす運動をしている時、手の使い方やその時の足の状態まで気にしてやっている人は、なかなか居ないと思います。
大抵は、いつもの生活習慣からの状態からそのまま、手を伸ばしていると思います。
それでも、日頃の精神的なストレスの軽減につながれば心地よく、からだにも良い事をしていると思ってしまう。
それはそれで良い。何もしないよりは良い。
しかし、その心地よさは、からだの頑張りによって裏打ちされた心地よさなのです。
足元が不安定なまま、手を伸ばせば、身体のどこかで頑張って、それを負担しなければならなくなる。腰然り、肩然り。
結果的に手の動きには、拮抗作用が働き、動きの制限が加わる。
これでは、ブレーキを引きずりながら動いているようなものであります。逆らって無理して動くよりも、ブレーキとなっている事柄を改善する方が先決。
からだに意識を向けてみなければ、そういった事に気づけない。
意識を向けるだけでなく、からだの立場に立った考え方ができれば、からだに負担をかけない事、頑張らせない事につながります。からだにとってのストレスを与えない事にもつうじます。
同じような運動をする時でも、何もしないよりは良いというレベルから、身心ともにストレスから解放させ、より健康に導く運動に変えていけるのです。
からだの立場に立って考えてみる。