先日、クライアントに立ち方の作法を指導していた時、
どうも立ち姿が力んでいるように見えた。
原因は、何度も来られている方だったので
「拇趾球で立てているだろう」と勝手に思い込んでしまったことにある。
実際は「親趾のつけ根」で立っていた。
たった数センチの違いでも、「拇趾球」と「親趾のつけ根」では、
「立った時の感覚」が全く異なる。
修正したところ、力みはなくなった。
作法をとおすことばかりに意識がいって、
肝腎の「感覚」がすっぽり抜けてしまっていたのだ。
勉強になった。
先日、クライアントに立ち方の作法を指導していた時、
どうも立ち姿が力んでいるように見えた。
原因は、何度も来られている方だったので
「拇趾球で立てているだろう」と勝手に思い込んでしまったことにある。
実際は「親趾のつけ根」で立っていた。
たった数センチの違いでも、「拇趾球」と「親趾のつけ根」では、
「立った時の感覚」が全く異なる。
修正したところ、力みはなくなった。
作法をとおすことばかりに意識がいって、
肝腎の「感覚」がすっぽり抜けてしまっていたのだ。
勉強になった。