このブログでも何度か書かれている話題になるけれど、
新種のコロナウイルスの影響によって、「マスク」という道具が
日常生活のなかに組み込まれた。
他者の健康を慮り、また自分の防衛の為でもあるそれは、
目に見える境界線であり、ある種の「結界」を身に纏っていることのようにも思える。
そういうもの同士が接し合うときには、マスクをしていないとき以上に、コミュニケーション力を要する気がする。
このマスクについては様々意見をもたれると思うけれど、
逆転の発想で最近いいかも、チャンスかもと感じる事もあった。
マスクを纏っていると明らかに呼吸がしずらくなる。
当たり前のことながら、それはフィルターの役割を果たしているので
ウイルスは勿論のこと、それ以外の空気の「旨味」のようなものまで取り除いているように思う。
現に、散歩中にちょっと息苦しくなってマスクを外してみると
やけに空気のおいしさを感じる事がある。
早朝の新鮮なものは別として、いままでマスクなしに日中散歩していた時には、都会の空気をおいしいと感じられることなんてなかった。
マスクをつけている人は少なからず、外した時のこの「空気おいしいな」感を味わっているのではないだろうか。結界を解いたときに、何を感じているのだろうか。
息苦しいという不快感も、呼吸が楽になったという感覚も、空気がおいしいという気付きも、目に見えない、当たり前の、でも生き物にとって最重要な「呼吸」という営みにハッと気が付くきっかけになっているんじゃないかと感じている。